オープンリールデッキ、それは昭和時代の権威の象徴

昭和の頃、我が家には「父の権威」というものが確かに存在していた。

私は四人きょうだいの末っ子だった。

兄弟姉妹の性格はそれぞれ大きく異なり、口げんかや衝突は日常茶飯事だった。長姉とは八学年差、兄とは四学年差である。当然ながら知恵比べでは長姉にかなわず、取っ組み合いになっても兄の相手にはならなかった。

そんな時、最後に決着をつけるのはいつも父だった。

よほどのことがなければ、母も父に反論することはなかった。

朝食や夕食といった家族団らんの時間ですら、父は家庭教育者としての顔を持っていた。箸の持ち方から食事中の態度に至るまで、厳しくしつけられた記憶がある。

テレビのチャンネル選択権も当然ながら父が握っていた。

私たちきょうだいが『8時だョ! 全員集合』を見たくても、父がNHKの特集番組を見たいとなれば、そちらが優先された。

そんな父親の権威を象徴するものが、もう一つあった。

オープンリールデッキである。

それは縦横四十センチほどの大きさがあり、ガーゼ生地で作った専用の袋に丁寧に包まれ、普段は押し入れの奥にしまわれていた。

父は時折それを取り出し、私たちきょうだいに昭和の歌謡曲や懐かしい音楽を聴かせてくれた。

今の若い世代は、オープンリールデッキそのものを見たことがないかもしれない。

左右のリールの間を磁気テープが走り、そのテープを記録・再生ヘッドが読み取ることで音を再生する機械である。

昭和中期まで、音を記録する装置としては、このオープンリールデッキが代表的な存在だった。映像でいえば八ミリカメラに相当する存在といってよいだろう。

もちろんレコードプレーヤーも普及していたが、それは既に録音された音を聴くための装置である。

なお、平成初期に情報処理技術者として仕事をされた方ならご存じかもしれないが、このオープンリールデッキの技術は、その後コンピュータのバックアップ用磁気テープ装置へと受け継がれていくことになる。

もっとも、この機械は子どもが気軽に扱える代物ではなかった。

磁気テープは非常に繊細で、触れ方を間違えれば傷つき、再生できなくなる。父は白手袋を使って扱っていたように記憶している。

私たち子どもにとって、それはまるで触れてはならない神聖な機械のような存在だった。

とはいえ、兄はそうではなかった。

好奇心が先に立ち、後先を考えずに行動する性格だった兄は、父の目を盗んで操作し、ときにはテープを傷めてしまったこともあったらしい。

しかし私は違った。

興味はあった。

だが、それ以上に怖かったのである。

当時、テレビからよく流れていた童謡『クラリネットをこわしちゃった』。

「あんなにだいじにしてたのに こわれて出ない音がある」

その歌詞を耳にするたびに、もし自分がオープンリールデッキを壊してしまったらどうしよう、と真剣に考えていた。

だから私は、父の目を盗んで勝手に操作しようという気にはなれなかった。

今振り返れば、父は他所の家庭と比べても比較的温厚な性格だったと思う。

だが、それでも怒らせれば怖かった。

そして、その恐れは知らず知らずのうちに、オープンリールデッキという音響機器にも権威をまとわせていたのである。

考えてみれば当然だった。

母は専業主婦であり、家族の生活は父の給与によって支えられていた。後年、母は株や投資信託でも利益を上げるようになったが、その元手となった資産も父の働きによって築かれたものだった。

昭和の我が家では、家計の方針だけではない。

テレビのチャンネルを決める権限も、オープンリールデッキを扱う権限も、父が握っていた。

それは単なる音響機器ではなかった。

オープンリールデッキとは、当時の我が家における「父親の権威」そのものを象徴する存在だったのである。