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私が初めて音楽を聴いた日
2026年10月1日
私が初めて音楽を聴いた日
音響機器の話から少し離れるが、私は小学校高学年から中学生の頃にかけて、当時の歌謡曲に対して漠然とした違和感を抱いていた。
その違和感とは何だったのか。
振り返れば、多くの歌謡曲が男女の恋愛をテーマにしていたことである。
「恋かな Yes! 恋じゃない Yes!」
「あなたを振り向かせる」
「キミは天使さ」
当時流行していた曲を思い出しても、その多くは恋愛を歌っていた。
もちろん、多くの人にとっては自然なことだったのだろう。
中学生ともなれば、歌詞に描かれる恋愛感情に共感し、自らを重ね合わせていた人もいたはずである。
松任谷由実が長年多くの支持を集めたのも、その力によるところが大きいのだろう。
しかし、私にはどうにもピンと来なかった。
恋愛に全く興味がなかったわけではない。
私なりに淡い恋心を抱いたこともある。
だが、それは歌謡曲が描くような世界とは違った。
そもそも他の子どもたちに比べて精神的な成長が遅かった私は、歌詞に込められた感情や情景を十分理解することができなかったのである。
だから歌謡曲を聴いても、どこか釈然としない。
何かが違う。
そんなモヤモヤした気持ちを抱えたまま中学生になった。
今になって思うと、そこには精神年齢の低さだけではない、もう一つ別の理由が潜んでいたようにも思う。
だが、その話は後にしよう。
当時の私は相変わらず空想癖が強く、勉強にもあまり身が入らなかった。
成績も低空飛行を続けていた。
そんな私を気にかけてくれたのがA君だった。
彼とは小学校三年、四年、そして中学二年で同じクラスになった。
勉強の成績は飛び抜けて良いわけではなかったが、子どもたちの興味を引く話題や趣味には敏感で、いつも周囲の一歩先を行っているような人物だった。
世間知らずだった私に、様々な世界を見せてくれたのも彼だった。
今の私を知る人からすると意外に思うかもしれないが、中学生までの私は無気力で無関心な少年だった。
ボクシングに興味を持ったのは兄に無理やり具志堅用高の試合を見せられたから。
人一倍臆病な私が登山を始めたのも、友人に半ば騙されるような形で武甲山に連れて行かれたからだった。
そして、オーディオにのめり込むきっかけもまた、自分から求めたものではなかった。
その日も私はA君に誘われ、気乗りしないまま彼の部屋へ向かった。
部屋に入ると、そこには立派なオーディオ機器が並んでいた。
国産のアナログプレーヤー。
そして大型ラジカセ。
ラジカセにはウーファーとツイーターが搭載されており、プレーヤーとはRCAケーブルで接続されていた。
A君は得意げにレコードを取り出すと、静かに針を落とした。
流れてきたのは高中正義の『BLUE LAGOON』だった。
その瞬間の衝撃を、私は今も忘れていない。
自宅のラジカセでは決して再現できない音が部屋いっぱいに広がった。
しかし私を驚かせたのは音質だけではなかった。
その音楽には歌詞がなかった。
恋愛もなかった。
失恋もなかった。
それなのに、私の心は激しく揺さぶられたのである。
私はそこで初めて気づいた。
歌詞に共感できなかったのではない。
私が求めていたものは、もともと別のところにあったのだ。
大袈裟に聞こえるかもしれない。
だが、あの時の私は、本当に雲の切れ間から青空を見たような気持ちになった。
「これだ」
そう思ったのである。
私は次の小遣い日になるとすぐに新星堂へ向かい、高中正義の『JOLLY JIVE』を購入した。
そして家のアナログプレーヤーで再生した。
ところが、である。
同じ高中正義なのに、A君の家で聴いた音とはまるで違う。
曲は同じだ。
演奏も同じだ。
それなのに、あの感動がない。
私は絶望した。
しかし振り返れば、この絶望こそが私をオーディオの世界へ誘う入口だった。
私は音楽に出会ったのではない。
まず「音の違い」に出会ってしまったのである。
それからというもの、私はより良い音とは何かを求めるようになった。
後にアルバイトをしてSANSUIのアンプを買おうと決意するほどに。
さて、ここまで読むと、私が偶然高中正義と出会い、たまたまオーディオマニアになったように思えるかもしれない。
しかし今では少し違う見方をしている。
1970年代後半、日本のロックやフュージョンの世界では確かな地殻変動が起きていた。
高中正義らの世代は単に楽曲を提供しただけではない。
ギターやアンプ、スピーカーといった楽器・音響機器への憧れそのものを生み出し、その後のオーディオ文化を支える担い手たちを育てたのである。
その話は、また別の機会に譲りたい。