音の向こうに人がいた

友人A君の家で、高中正義の『BLUE LAGOON』を聴いた後のことである。

実は、それ以前にも印象的な音楽体験がなかったわけではない。

ある時、別のクラスメートに誘われて、ライオネル・リッチーの来日公演を観に行く機会があった。

会場は日本武道館だったような気もするが、残念ながら記憶が定かではない。

ちょうど『Say You, Say Me』が世界的なヒットとなっていた頃だったと思う。

これまでにもコンサートへ足を運んだ経験はあった。

しかし、ライオネル・リッチーのステージは何かが違った。

今でもその感覚だけは鮮明に残っている。

考えてみると不思議な話である。

純粋な音質だけで比較すれば、音響スタジオで細部まで調整された録音音源の方が優れているかもしれない。

しかし、人を感動させる力という点では、生演奏に勝るものはない。

おそらく多くの人が何度もライブへ足を運ぶのは、そのためなのだろう。

私も後に同じことをするようになる。

もっとも私の場合、誰かと一緒ではなく、一人で足を運ぶことがほとんどだった。

もちろんアイドル歌手のライブも経験した。

中学生の頃には、父の母校の学園祭に島田歌穂が出演するというので見に行ったこともある。

だが前方の席は熱心なファンたちに占拠されていた。

後方から小さく見える姿を眺めるだけで終わってしまい、感動というほどのものはなかった。

正直なところ、

「ロボコンのロビンちゃんも、こんなものか」

というのが当時の感想だった。

ところが、ライオネル・リッチーのような本物の表現者は違った。

圧倒的な歌唱力。

演奏力。

ステージ構成。

そして空間そのものを支配する存在感。

それは最新の音響機器から流れる音を超えた何かだった。

あの夜、私は初めて、

音には人を動かす力があることを知ったのである。

そして、それまで極度の引っ込み思案だった私が、少しずつ外の世界へ向かい始める。

ある時は秋葉原の中古オーディオ店へ足を運ぶ。

そこに並ぶ大型スピーカーから流れるルイ・アームストロングの『この素晴らしき世界』に耳を傾ける。

タンノイのスピーカーから流れるその歌声は、私にとって何ものにも代えがたい至福の時間だった。

またある時は、東京で開催された東南アジア関連のイベントへ出かけた。

ラーマーヤナ舞踊を見て、ガムラン音楽を聴く。

その体験は後に私を海外へと向かわせることになる。

会社を辞めて放浪生活に入った時、真っ先に向かったのはバリ島ウブドだった。

そこで聴いたケチャの生演奏は期待を裏切らなかった。

さらに、ジェラールッディーン・ルーミーの思想に触れたことから、スーフィー音楽や旋回舞踏にも関心を持つようになった。

そして最終的には、パキスタンが生んだ偉大な歌手、ヌスラット・ファテ・アリ・ハーンへと辿り着く。

残念ながら彼が来日する前に逝去してしまい、生の歌声を聴くという願いだけは遂に叶わなかった。

振り返ると、私は長い間、良い音を追い求めてきた。

しかしその先にあったのは、必ずしも高級オーディオ機器だけではなかった。

本当に求めていたのは、その音を生み出した人だったのかもしれない。

だから私は今でも、音質へのこだわりを持ちながら、生演奏への憧れも捨てることができない。

そして何より不思議なのは、人一倍内向的で臆病だった私が、その音を求めて国内外を歩き回るようになったことである。

音響機器が私を音楽へ導いた。

しかし音楽は、その先に広がる世界へ私を連れ出したのである。