ジャパンブランドという誇り── AKAI、SANSUI、DIATONEの時代

近頃は、日本の停滞を語る話を耳にすることが多くなった。

GDPではドイツに抜かれ世界第四位。

大学ランキングでも東京大学の順位低下が話題になる。

経済も教育も、どこか勢いを失ったように語られることが少なくない。

もっとも、私は経済学者でも評論家でもない。

日本経済の将来について論じるつもりはないし、その能力も持ち合わせていない。

ただ一つ、私自身の体験として語れることがある。

それは、1970年代後半から1980年代にかけて、日本には確かに勢いがあったということである。

そして、その勢いを最も身近に感じることができた分野の一つが、音響機器だった。

私が高中正義の『BLUE LAGOON』を聴いて以来、より良い音への憧れを抱くようになったことは既に書いた。

しかし当時の私は、今の皆さんが想像する以上に情報を持っていなかった。

インターネットは存在しない。

SNSもない。

もちろんAIもない。

オーディオに詳しい知人も周囲にいなかった。

雑誌を読み、人の話を聞き、秋葉原へ足を運び、自分の耳で確かめるしかなかった。

それでも、

「あの音をもう一度聴きたい」

という気持ちだけはあった。

今振り返れば、それが私を動かしていた原動力だったのだと思う。

当時のオーディオ少年にとって、

AKAI。

SANSUI。

DIATONE。

これらは単なるメーカー名ではなかった。

憧れそのものだった。

平成生まれの世代にはほとんど知られていないかもしれない。

しかし昭和のオーディオ好きにとっては特別な響きを持つ名前である。

私も夢見ていた。

AKAIのカセットデッキ。

SANSUIのステレオアンプ。

DIATONEのスピーカー。

それらを自室に並べ、高中正義や喜多郎を大音量で聴く。

それが私のささやかな夢だった。

そして幸運なことに、その夢の一部は後に実現する。

なぜ、私たちはそれほど国産オーディオに憧れたのだろうか。

理由の一つは、当時の音楽シーンそのものに勢いがあったからだと思う。

高中正義、サディスティック・ミカ・バンド、YMO、サザンオールスターズ、アリス。

彼らは単にヒット曲を生み出しただけではない。

私たちに、「もっと良い音で聴きたい」と思わせる力を持っていた。

特に高中正義らの世代は、日本のフュージョン、ロック、電子音楽を大きく前進させた。

彼らの演奏がなければ、私自身も後年、

ジャンベ、ガムラン、ケチャ、スーフィー音楽、ヌスラット・ファテ・アリ・ハーンへと関心を広げることはなかっただろう。

そして日本のメーカーたちもまた勢いに満ちていた。

高度経済成長期を経て、日本人の生活は豊かになった。

より良い音。

より良い映像。

より良い暮らし。

そうした欲求に応えるように、次々と新しい製品が登場する。

ラジカセ、ウォークマン、カセットデッキ、ステレオアンプ、スピーカー、CDプレーヤー。

それらは単なる家電製品ではなかった。

未来そのものに見えたのである。

もっとも、その輝きは永遠ではなかった。

AKAIは姿を消した。

SANSUIも消えた。

DIATONEもブランドとしては消滅した。

一方でBOSEやTannoyといった海外メーカーは存在感を保ち続けている。

振り返れば、日本のメーカーは技術力では世界最高水準だった。

だが市場は変化する。

音楽の聴き方も変わる。

映像という新しい娯楽も台頭する。

そして、その変化への対応に成功した企業もあれば、失敗した企業もあった。

私自身も同じ時代を生きていた。

高校を卒業した頃、自室にテレビと中古VHSデッキを持ち込んだ。

今なら信じられないほど画質は悪い。

しかし当時は革命的だった。

高中正義も、YMOも、喜多郎も。

音だけでなく映像でも楽しめるようになったのである。

そして私は、もっと良い映像を見たい。

もっと良い音を聴きたい。

そう思うようになる。

その先にはトリニトロンもあり、ハイビジョンブラウン管テレビもあり、レーザーディスクもあった。

今はインターネットがある。

AIもある。

情報はいくらでも手に入る。

しかし私は時々思う。

当時の私には情報がなかった。

だから歩いた。

秋葉原へ行った。

店員に話を聞いた。

雑誌を読んだ。

失敗した。

遠回りした。

それでも何かを知りたくて動き続けた。

今の時代は便利になった。

しかし、

「本当に欲しいものを見つけるために、自分の足で歩く」

という行為まで代替してくれるわけではない。

私はこの章で、AKAIやSANSUIを懐かしみたいのではない。

あの時代を礼賛したいのでもない。

ただ伝えたいのは、情報が不足していても、人は前に進めるということだ。

私がそうだったように。

「あの音をもう一度聴きたい」

その一心で走り続けた経験は、今振り返っても決して無駄ではなかったと思っているのである。