ジャカルタで見たもう一つの秋葉原

以前、私はアジアや北アフリカ、西ヨーロッパを放浪していた時期がある。

今振り返れば、自分探しなどという格好の良いものではなかった。

数年間の会社員生活の中で、自分は人生の落伍者ではないかと思い込み、その現実と向き合うことから逃げ出していただけかもしれない。

そして、その逃避行の最初の舞台が東南アジアだった。

当時の旅は、今のような情報過多の時代とは大きく違う。

パッケージツアーなど利用しない。

今日はどこへ行くのか。

明日は何をするのか。

そんなことすら決めない。

ただ一泊数百円から千円ほどの安宿に長逗留する。

天井には扇風機が一台。

夜になると蚊が飛び回る。

そんな部屋で汗を流しながら過ごしていた。

昼間は暑い。

気温は三十度を超え、湿度も高い。

だからスコールが止み、少し涼しくなる夕方になると街へ出かける。

それが日課だった。

今の若い人は不思議に思うかもしれない。

インターネットもスマートフォンもない時代、旅行情報をどうやって集めていたのか、と。

私たちの頼りは二冊の本だった。

『地球の歩き方』と英語版の『Lonely Planet』である。

現地に着いてからは、日本人旅行者の集まるエリアへ行く。

バンコクならカオサンロード。

ジャカルタならジャラン・ジャクサ通り。

そこで他の旅行者と情報交換をする。

安宿の共有スペースには日本語の本も置かれていた。

当時、バックパッカーのカリスマ的存在だった下川裕治の著作もよく読んだ。

私にとって、それらは旅の教科書だった。

さて、今回の話は1990年代半ばのインドネシアである。

当時の私は、インドネシアについて大きな思い込みを持っていた。

人口は二億人を超える大国だったが、私の中では「発展途上国」というイメージが極めて強かった。

自動車は中古車ばかり。

家電製品もろくにない。

音響機器など一部の富裕層の贅沢品だろう。

恥ずかしながら、そんな偏見を持っていたのである。

ところが実際のジャカルタは違った。

中心部にはサリナ・デパートのような近代的商業施設があり、日本とそれほど変わらない景色も広がっていた。

そんなある日、『地球の歩き方』を読んでいて興味深い記事を見つける。

ジャカルタには「クロドック」という電気街があり、日本で言う秋葉原のような場所だというのである。

この一文を読んだ瞬間、私の行動は決まった。

かつて秋葉原を徘徊していた身としては、「これは行かねばならない」のである。

コタ駅から歩き、クロドックを訪れた。

確かにそこには秋葉原に似た風景があった。

中小の電器店が密集し、家電製品が所狭しと並んでいる。

しかし、どこか違和感がある。

その正体に気づくまで、それほど時間はかからなかった。

日本製の家電が並んでいる。

ラジカセがある。

CDプレーヤーがある。

MDプレーヤーもある。

ディスクマンもある。

VHSデッキもある。

驚いたことに、日本でつい最近発売された製品まで販売されていた。

一方で、私が日本で親しんできた機器が見当たらない。

オープンリールデッキがない。

8ミリカメラがない。

アナログプレーヤーもほとんどない。

街の露店には中古ラジカセが大量に並んでいるにもかかわらず、電気街の主役は既にCDやMDになっていた。

その時、私はあることに気づいた。

日本では、ラジオ→蓄音機→オープンリール→カセットテープ→CD→MD、と、技術革新に合わせて段階的に発展してきた。

しかしインドネシアでは、その過程を飛び越えていたのである。

古い技術を経由せず、最新技術へ直接移行していた。

これが私の抱いた違和感の正体だった。

後年、通信技術やITに関わるようになり、この現象は決して珍しいものではないと知った。

固定電話を十分に整備しないまま携帯電話が普及した国。

インターネット回線を飛び越えてスマートフォン中心社会になった国。

技術は必ずしも同じ順番で普及するわけではない。

クロドックで見た光景は、その最初の体験だったのかもしれない。

ただし、もう一つ印象に残ったことがある。

ジョグジャカルタで偶然知り合った富裕層の家庭に招かれた時のことだ。

広い屋敷の居間には、日本の最新型オーディオ機器が堂々と並んでいた。

それは日本の平均的な家庭より立派なものだった。

当時、商社関係でインドネシアに滞在していた兄からも、日本製家電は富裕層や駐在員に非常に人気があると聞いていた。

日本ブランドへの信頼は、それだけ厚かったのである。

そして帰国後、私はふと思った。

日本には、古い技術を愛し続ける人たちがいる。

真空管アンプ。

アナログプレーヤー。

オープンリール。

時代遅れと呼ばれながらも、使い続ける。

だから日本では古い技術がなかなか消えない。

一方、クロドックでは最新技術が古い技術を一気に押し流していた。

どちらが正しいという話ではない。

しかしそこには、日本人らしいメンタリティの違いが表れていたように思うのである。