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アザーンが世界を変えた朝── ジャカルタの夜明けに聞いた声
2026年10月13日
アザーンが世界を変えた朝── ジャカルタの夜明けに聞いた声
あれは朝四時過ぎだっただろうか。
私はジャカルタ中心部のホテルで熟睡していた。
その時、突然、外から大音量の声が聞こえてきた。
ラウドスピーカーを通した、独特の抑揚を持つ男性の声である。
正直なところ、その瞬間は何が起きたのか分からなかった。
爆破テロでも起きたのか。
デモか何かだろうか。
しかし身の危険は感じなかったので、そのまま眠り直してしまった。
朝になってから思い返し、
「あれがイスラム教のアザーンか」
と気づいたのである。
もっとも、その時点ではそれ以上の感想は持たなかった。
朝食を食べるため街へ出る頃には、未明の出来事などすっかり忘れてしまっていた。
しかし、その後インドネシア各地を旅するうちに、私の中で少しずつ認識が変わっていった。
スマトラ島の一部やバリ島、アニミズムの色濃く残る地域を除けば、インドネシアは世界最大級のイスラム教国である。
都市部よりも地方へ行くほど、そのことを実感する。
女性はヒジャブを身につける。
男性は黒や白の帽子をかぶる。
豚肉を食べない。
酒を飲まない。
そして一日五回の礼拝を欠かさない。
教科書には確かにそう書いてあった。
しかし、実際にその中で生活してみると、本に書かれている知識とは全く違うものが見えてきた。
特に印象に残っているのはスンバワ島でのことである。
ある日、モスクのスピーカーから聞こえてきたのは、礼拝への呼びかけではなかった。
地域住民へ向けた連絡事項だった。
しかも話し手は時折ジョークを交えながら話し、笑い声まで聞こえてくる。
私にはそれが、防災無線や地域ラジオ放送のように感じられた。
モスクは礼拝の場所であると同時に、地域社会の情報センターでもあったのである。
こうした光景を目にするうちに、「教科書に書かれたイスラム」から「生活の中に息づくイスラム」へと、私の認識は少しずつ変わっていった。
その数年後、今度は北アフリカのモロッコで、もう一つのイスラムの音に出会うことになる。
フェズを訪れた時のことだった。
ちょうどラマダンの期間中だった。
夜明け前、突然、ロケット砲のような凄まじい音が街に鳴り響いた。
続いてアラビア語と思われる男性の声が流れ始める。
ラマダンの始まりを告げる合図だった。
その時もまた、私は音を通してイスラム社会を理解しようとしていた。
ここまで読むと、「音響機器の話と何の関係があるのか」と思われるかもしれない。
確かにモスクのスピーカーから流れる音は、オーディオマニアが追い求めるような高音質とは程遠い。
しかし私にとって、この音もまた「至高の音」だった。
私はこれまで、
オープンリールデッキ、
ラジカセ、
ウォークマン、
AKAI、
SANSUI、
DIATONEといった機器を通じて音を追い求めてきた。
だが、本当に心を動かす音というものは、必ずしも高性能な機器から生まれるとは限らないのである。
旅を通して知ったイスラム教とは、単なる宗教ではなかった。
それは生活そのものだった。
礼拝だけではない。
教育もある。
文学もある。
娯楽もある。
生活の知恵もある。
そして音楽もある。
私には、イスラムは宗教というより、一つの巨大な文化圏のように映った。
モロッコの迷宮都市フェズからアトラス山脈を越え、エルフードやワルザザートへ向かう長距離バスの中でも、それを感じた。
車内に流れていたアラビア語の音楽は、内容こそ理解できなかったが、どこか神を称える響きを持っているように聞こえた。
信仰と日常生活が自然に結びついているのである。
振り返れば、私のイスラム世界への関心は、あのジャカルタの早朝から始まっていた。
寝起きに無理やり聞かされたアザーン。
当時はただの騒々しい音でしかなかった。
しかし、その微かな記憶は消えることなく残り続けた。
やがてそれは、
イスラム神秘主義の旋回舞踏、
パキスタンの歌謡カッワーリー、
そしてヌスラット・ファテ・アリ・ハーンへと続く一本の道になっていく。
今にして思えば、あのアザーンこそが、私をイスラム世界へ導いた最初の音だったのである。