アザーンが世界を変えた朝── ジャカルタの夜明けに聞いた声

あれは朝四時過ぎだっただろうか。

私はジャカルタ中心部のホテルで熟睡していた。

その時、突然、外から大音量の声が聞こえてきた。

ラウドスピーカーを通した、独特の抑揚を持つ男性の声である。

正直なところ、その瞬間は何が起きたのか分からなかった。

爆破テロでも起きたのか。

デモか何かだろうか。

しかし身の危険は感じなかったので、そのまま眠り直してしまった。

朝になってから思い返し、

「あれがイスラム教のアザーンか」

と気づいたのである。

もっとも、その時点ではそれ以上の感想は持たなかった。

朝食を食べるため街へ出る頃には、未明の出来事などすっかり忘れてしまっていた。

しかし、その後インドネシア各地を旅するうちに、私の中で少しずつ認識が変わっていった。

スマトラ島の一部やバリ島、アニミズムの色濃く残る地域を除けば、インドネシアは世界最大級のイスラム教国である。

都市部よりも地方へ行くほど、そのことを実感する。

女性はヒジャブを身につける。

男性は黒や白の帽子をかぶる。

豚肉を食べない。

酒を飲まない。

そして一日五回の礼拝を欠かさない。

教科書には確かにそう書いてあった。

しかし、実際にその中で生活してみると、本に書かれている知識とは全く違うものが見えてきた。

特に印象に残っているのはスンバワ島でのことである。

ある日、モスクのスピーカーから聞こえてきたのは、礼拝への呼びかけではなかった。

地域住民へ向けた連絡事項だった。

しかも話し手は時折ジョークを交えながら話し、笑い声まで聞こえてくる。

私にはそれが、防災無線や地域ラジオ放送のように感じられた。

モスクは礼拝の場所であると同時に、地域社会の情報センターでもあったのである。

こうした光景を目にするうちに、「教科書に書かれたイスラム」から「生活の中に息づくイスラム」へと、私の認識は少しずつ変わっていった。

その数年後、今度は北アフリカのモロッコで、もう一つのイスラムの音に出会うことになる。

フェズを訪れた時のことだった。

ちょうどラマダンの期間中だった。

夜明け前、突然、ロケット砲のような凄まじい音が街に鳴り響いた。

続いてアラビア語と思われる男性の声が流れ始める。

ラマダンの始まりを告げる合図だった。

その時もまた、私は音を通してイスラム社会を理解しようとしていた。

ここまで読むと、「音響機器の話と何の関係があるのか」と思われるかもしれない。

確かにモスクのスピーカーから流れる音は、オーディオマニアが追い求めるような高音質とは程遠い。

しかし私にとって、この音もまた「至高の音」だった。

私はこれまで、

オープンリールデッキ、

ラジカセ、

ウォークマン、

AKAI、

SANSUI、

DIATONEといった機器を通じて音を追い求めてきた。

だが、本当に心を動かす音というものは、必ずしも高性能な機器から生まれるとは限らないのである。

旅を通して知ったイスラム教とは、単なる宗教ではなかった。

それは生活そのものだった。

礼拝だけではない。

教育もある。

文学もある。

娯楽もある。

生活の知恵もある。

そして音楽もある。

私には、イスラムは宗教というより、一つの巨大な文化圏のように映った。

モロッコの迷宮都市フェズからアトラス山脈を越え、エルフードやワルザザートへ向かう長距離バスの中でも、それを感じた。

車内に流れていたアラビア語の音楽は、内容こそ理解できなかったが、どこか神を称える響きを持っているように聞こえた。

信仰と日常生活が自然に結びついているのである。

振り返れば、私のイスラム世界への関心は、あのジャカルタの早朝から始まっていた。

寝起きに無理やり聞かされたアザーン。

当時はただの騒々しい音でしかなかった。

しかし、その微かな記憶は消えることなく残り続けた。

やがてそれは、

イスラム神秘主義の旋回舞踏、

パキスタンの歌謡カッワーリー、

そしてヌスラット・ファテ・アリ・ハーンへと続く一本の道になっていく。

今にして思えば、あのアザーンこそが、私をイスラム世界へ導いた最初の音だったのである。