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イスラム神秘主義との最初の出会い── 大学の講義とトルコへの旅
2026年10月19日
イスラム神秘主義との最初の出会い── 大学の講義とトルコへの旅
「お前はミーハーな奴だ」
「主体性がない」
子どもの頃から、そんなことを言われ続けてきた。
確かにその通りかもしれない。
私は流行を敏感に察知して飛びつくタイプではない。
むしろ周囲の人が関心を持ち、その影響を受ける形で自分も動き出すことが多かった。
三つ子の魂百までと言うが、還暦を目前にした今でも、その傾向はあまり変わっていない。
きょうだいが見ていた歌番組に便乗して桜田淳子を好きになった。
しかし歌詞の意味など考えていなかった。
ブルース・リーの映画を見れば夢中になり、駄菓子屋で買ったプラスチック製のヌンチャクを振り回した。
だが本格的に武術を学ぼうとはしなかった。
スーパーカーブームが来れば、友人たちに倣ってスーパーカー消しゴムを集めた。
しかし車種について詳しかったわけでもない。
そんな私が大学で選択した一般教養の一つが民俗学だった。
その講義で視聴した映像が、私とイスラム神秘主義との最初の出会いだった。
旋回舞踏である。
白い衣装をまとった男性たちが、ゆっくりと回転を続ける。
背景には独特の旋律と祈りの響きが流れている。
それまで私は、J-POP、フュージョン、ジャズ、ロック、クラシックなど、様々な音楽を聴いてきた。
しかし、これは全く未知の世界だった。
正直に言うと、当初は戸惑いの方が大きかった。
バレエなら華やかな踊り手がいる。
歌舞伎なら美しい女形がいる。
ところが目の前で回っているのは髭をたくわえた男性たちである。
若かった私は、「これの何が面白いんだろう」 と率直に思っていた。
ところが不思議なことが起きた。
映像を見続けているうちに、旋回する動きと音楽が重なり合い、言葉では説明しにくい高揚感が生まれてきたのである。
もちろん大学の講義だから、映像を見て終わりではない。
旋回舞踏を生み出したイスラム神秘主義。
そして中世の大思想家ジャラールッディーン・ルーミーについても説明があったはずである。
しかし残念ながら、そちらの記憶はほとんど残っていない。
当時の私にとっては、「変わった踊りだったな」程度の印象しかなかった。
だから本来なら、そのまま忘れてしまうはずだったのである。
その記憶が再び蘇るのは、会社を辞めて海外を放浪するようになってからだった。
アジア。
ヨーロッパ。
北アフリカ。
様々な土地を巡る中で、私はトルコを訪れる。
イスタンブール空港から市内へ向かう。
ボスポラス海峡を渡る船に乗る。
ちょうど明け方だった。
遠くからアザーンが聞こえてくる。
丘の上に立つモスク。
朝日に染まる街並み。
私はそこで初めて、「ここは完全なイスラム世界なのだ」ということを実感した。
その後、ガラタ橋を渡り、グランドバザール周辺を歩いていると、一軒の土産物屋の店先で旋回舞踏を描いた装飾品を見つけた。
店主が日本語で声を掛けてくる。
「アナタドコイクノ?」
「ワタシハココニイマス」
東南アジアの「アリガトゴジマス」と同じように、どこか微妙に違う日本語だったが十分に通じた。
私は思わず旋回舞踏について尋ねてみた。
すると店主は、「コンヤへ行けば見られる」と教えてくれたのである。
せっかくトルコへ来たのだ。
ならば見に行こう。
私は即座にそう決めた。
今思えば、ここで大きな失敗をしている。
情報の裏付けを十分に取らなかったのである。
観光案内所でも確認した。
確かに開催されているらしい。
しかし詳細までは確認していなかった。
まだインターネット黎明期だった。
仮に利用していたとしても、今ほど正確な情報が得られたとは思えない。
そうして私はアンカラ経由でコンヤへ向かった。
ところが到着してみると、目的の旋回舞踏公演は行われていなかった。
完全な空振りだった。
ルーミーゆかりのメヴラーナ博物館を訪れることはできた。
しかし、わざわざ一日以上かけて移動した本来の目的は果たせなかった。
その悔しさもあって、予定になかったカッパドキア観光へと足を延ばすことになる。
もっとも、今振り返れば、この失敗は決して無駄ではなかった。
むしろ逆だった。
この時の悔しさが、
「いつか本物を見たい」
という思いに変わったのである。
そしてその執着心こそが、後にイスラム神秘主義音楽、さらにはパキスタン歌謡カッワーリーへと向かう長い道のりの出発点になったのである。