イスラム神秘主義との最初の出会い── 大学の講義とトルコへの旅

「お前はミーハーな奴だ」

「主体性がない」

子どもの頃から、そんなことを言われ続けてきた。

確かにその通りかもしれない。

私は流行を敏感に察知して飛びつくタイプではない。

むしろ周囲の人が関心を持ち、その影響を受ける形で自分も動き出すことが多かった。

三つ子の魂百までと言うが、還暦を目前にした今でも、その傾向はあまり変わっていない。

きょうだいが見ていた歌番組に便乗して桜田淳子を好きになった。

しかし歌詞の意味など考えていなかった。

ブルース・リーの映画を見れば夢中になり、駄菓子屋で買ったプラスチック製のヌンチャクを振り回した。

だが本格的に武術を学ぼうとはしなかった。

スーパーカーブームが来れば、友人たちに倣ってスーパーカー消しゴムを集めた。

しかし車種について詳しかったわけでもない。

そんな私が大学で選択した一般教養の一つが民俗学だった。

その講義で視聴した映像が、私とイスラム神秘主義との最初の出会いだった。

旋回舞踏である。

白い衣装をまとった男性たちが、ゆっくりと回転を続ける。

背景には独特の旋律と祈りの響きが流れている。

それまで私は、J-POP、フュージョン、ジャズ、ロック、クラシックなど、様々な音楽を聴いてきた。

しかし、これは全く未知の世界だった。

正直に言うと、当初は戸惑いの方が大きかった。

バレエなら華やかな踊り手がいる。

歌舞伎なら美しい女形がいる。

ところが目の前で回っているのは髭をたくわえた男性たちである。

若かった私は、「これの何が面白いんだろう」 と率直に思っていた。

ところが不思議なことが起きた。

映像を見続けているうちに、旋回する動きと音楽が重なり合い、言葉では説明しにくい高揚感が生まれてきたのである。

もちろん大学の講義だから、映像を見て終わりではない。

旋回舞踏を生み出したイスラム神秘主義。

そして中世の大思想家ジャラールッディーン・ルーミーについても説明があったはずである。

しかし残念ながら、そちらの記憶はほとんど残っていない。

当時の私にとっては、「変わった踊りだったな」程度の印象しかなかった。

だから本来なら、そのまま忘れてしまうはずだったのである。

その記憶が再び蘇るのは、会社を辞めて海外を放浪するようになってからだった。

アジア。

ヨーロッパ。

北アフリカ。

様々な土地を巡る中で、私はトルコを訪れる。

イスタンブール空港から市内へ向かう。

ボスポラス海峡を渡る船に乗る。

ちょうど明け方だった。

遠くからアザーンが聞こえてくる。

丘の上に立つモスク。

朝日に染まる街並み。

私はそこで初めて、「ここは完全なイスラム世界なのだ」ということを実感した。

その後、ガラタ橋を渡り、グランドバザール周辺を歩いていると、一軒の土産物屋の店先で旋回舞踏を描いた装飾品を見つけた。

店主が日本語で声を掛けてくる。

「アナタドコイクノ?」

「ワタシハココニイマス」

東南アジアの「アリガトゴジマス」と同じように、どこか微妙に違う日本語だったが十分に通じた。

私は思わず旋回舞踏について尋ねてみた。

すると店主は、「コンヤへ行けば見られる」と教えてくれたのである。

せっかくトルコへ来たのだ。

ならば見に行こう。

私は即座にそう決めた。

今思えば、ここで大きな失敗をしている。

情報の裏付けを十分に取らなかったのである。

観光案内所でも確認した。

確かに開催されているらしい。

しかし詳細までは確認していなかった。

まだインターネット黎明期だった。

仮に利用していたとしても、今ほど正確な情報が得られたとは思えない。

そうして私はアンカラ経由でコンヤへ向かった。

ところが到着してみると、目的の旋回舞踏公演は行われていなかった。

完全な空振りだった。

ルーミーゆかりのメヴラーナ博物館を訪れることはできた。

しかし、わざわざ一日以上かけて移動した本来の目的は果たせなかった。

その悔しさもあって、予定になかったカッパドキア観光へと足を延ばすことになる。

もっとも、今振り返れば、この失敗は決して無駄ではなかった。

むしろ逆だった。

この時の悔しさが、

「いつか本物を見たい」

という思いに変わったのである。

そしてその執着心こそが、後にイスラム神秘主義音楽、さらにはパキスタン歌謡カッワーリーへと向かう長い道のりの出発点になったのである。