3-hitech-history
365日24時間の輪番
2026年9月6日
今や、インターネットは、昼夜の別なく使へるものと思はれてゐる。
年末年始であらうが、正月三が日であらうが、深夜であらうが、画面を開けば、そこにいつもの世界がある。
されど、その「いつでも使へる」という便利さの陰には、夜中にも働いてゐる人々がゐる。
ITの世界では、土日祝日を問はず、深夜であっても事務所に人を置き、不測の事態に備へることがある。
これを輪番といふ。
勤務は、夕方五時から九時頃に始まり、翌朝七時から九時頃に終はることが多い。
世の人、夜勤と聞けば、夜通し忙しく働き続ける姿を想像するやもしれぬ。
されど、ITの輪番は少し趣が異なる。
定められた手順に従ひ、決められたことを確実に行ふ。
自らの判断で何でも事を進める、という仕事ではない。
むしろ、何も起こらぬことこそが、最もよき夜なのである。
障害もなく、問合せもなく、機械も静かに動いてゐる。
そんな夜には、時の流れもまた静かなり。
本来ならばいけぬことなれど、携帯を眺めたり、本を読んだりすることも、暗黙のうちに許されてゐることがある。
何しろ、何も起こらぬのである。
ところが、ひとたび障害が起これば、景色は一変する。
「初動が大切なり」
これはITの世界で、幾度となく聞かされる言葉なり。
速やかに、しかも間違ひなく責任者へ連絡を取り、必要な者を集め、決められた手順に従ひて動かねばならぬ。
さきほどまで静かであった部屋が、たちまち緊張した空気に包まれる。
かく考へれば、輪番の仕事、IT技術者といふより、むしろ消防士に近きところあり。
普段は何も起こらぬ。
されど、何か起これば、すぐに動く。
そして、何も起こらぬことを願ひながら、そこに居続ける。
ただし、夜勤には夜勤なりの苦労がある。
人の身体は、夜に眠り、朝に起きるやうに出来てゐる。
夜勤を終へて家に帰り、昼間に眠らんとしても、思ふやうには眠れぬ。
身体を横たへてゐるだけで、疲れが抜けぬこともある。
ことに真夏ともなれば、冷房を効かせた部屋であっても、身体は容易に休まらぬ。
さうして十分に疲れの取れぬまま、また次の夜勤へ向かふのである。
もっとも、輪番には輪番なりの得もある。
世間の暦通りに休むことが少ないため、平日の昼間に官公庁へ出向き、休日を使はずに用事を済ませることができる。
土日祝日には長蛇の列となるほど人気の映画を、平日の昼間、ほとんど人のゐない劇場で静かに観ることもできる。
また、早朝の街を歩けば、普段は見ることのない、もう一つの繁華街の姿に出会ふこともある。
人の少ない駅前、店を開ける準備をする人、夜を終へようとする店。
世間がまだ一日の始まりを迎へる前に、別の一日を終へようとする人々がゐる。
これもまた、輪番の者だけが知る景色なり。
そして、不思議なことに、かうした輪番の場には、昼の仕事だけをしてゐれば、なかなか知ることのなかった経歴を持つ人もゐる。
私がかつて同じ輪番で働いてゐた折、ある人と夜を共にすることがあった。
普段は、機械の監視をし、異常があれば定められた手順に従ひ、何事もなければ静かに時を過ごす。
その人もまた、私から見れば、ただ同じ夜勤をする一人の仲間に過ぎなかった。
ところが、夜も更け、仕事の合間に話をしてゐるうち、その人がかつて大学院へ進み、そのまま大学に残って研究を続けてゐたことを知った。
大学教授を目指して学問の道を歩み、つひには博士課程まで進んだといふ。
されど、三十代となるころには民間企業へ移る時機を逸し、別の道を歩むこととなった。
すでに家庭を持ち、子を育てながら働いてゐる者もゐる。
また、今なお在野にて研究を続けてゐる者もゐると聞いた。
昼間のITの世界にゐれば、会社の名や役職、これまでの仕事の経歴などをもって、その人を見ることが多い。
上場企業に勤め、若くしてプロジェクトマネージャーなどを務めてゐる人であれば、「この人はこういふ人」と、おのづから見方も定まる。
しかし、夜の輪番席では、さうした肩書きはさほど意味を持たぬ。
同じ時刻に出勤し、同じ画面を眺め、同じやうに眠気と戦ひ、何事も起こらぬ夜を過ごす。
さうして、ふとした会話の中から、その人がこれまで歩んできた道を知ることがある。
人とは、不思議なものなり。
昼の世にては見えぬものが、夜になり、同じ席に座り、同じ時間を過ごして初めて見えてくることがある。
輪番とは、機械の異常を見張る仕事と思ひてゐた。
されど実際には、人の姿を知る仕事でもあったのかもしれぬ。
表から見れば、ただの夜勤者。
少し話してみれば、そこにはまた別の人生がある。
人を知るとは、肩書きを知ることにあらず。
その人が、どのやうな道を歩み、いかなる夜を越えて、今ここにゐるのかを知ることなのかもしれぬ。
昼間、何気なく使ってゐるインターネットも、夜になれば誰かの手によって守られてゐる。