同じIT技術者でも、なぜ報酬は違ふのか ――IT報酬のカラクリ

銀行、総合商社、証券会社、電機メーカー、農産物加工・資材メーカー、スーパーマーケット、運送会社……世の中には多くの業種が存在し、業界によつて報酬に格差があるのが一般的である。

我々の肌感覚でも、「銀行は総じて高めであり、小売や外食は、銀行に比べると低い」と考へることが多いのではないだらうか。

厚生労働省などが公表してゐる公的な統計も、報酬の目安を知るうへでは参考になる。されど、仕事の内容や雇用形態、すなはち正規雇用か非正規雇用かといつた違ひによつても、結果は変はつてくる。

そこで、年収の話をするならば、転職サービスの資料を見てみるのもよい。

人は、今の仕事に満足してゐるときよりも、転職を考へたとき、自分の年収が世間と比べてどうなのかを気にするものだからである。

その意味で、人材紹介会社が集めた年収データは、単なる賃金統計とは少し趣が異なる。

dodaの調査によれば、35歳の平均年収は462万円。業種別では、金融が540万円、IT・通信が529万円、総合商社が520万円、メーカーが501万円、小売・外食が394万円となつてゐる。

もちろん、これは日本の全会社員を、そのまま調べた数字ではない。dodaに登録した正社員を対象とした平均である。

されど、転職を考へる人々が、どの業界で、どの程度の報酬を得てゐるのかを知る資料としては、なかなか興味深い。

この数字だけを見ると、IT・通信は、金融や総合商社と比べて極端に低いわけではない。むしろ、業種全体の平均だけを見れば、かなり高い位置にある。

ところが、私の印象では、ITほど報酬の振れ幅が大きく、その仕組みが外から見えにくい業界は、さう多くないやうに思ふ。

同じIT技術者と呼ばれる人であつても、大手企業に勤める者もゐれば、独立系の会社に勤める者もゐる。

顧客企業の情報システム部門で働く者もゐれば、SESと呼ばれる形で、別の会社の現場へ赴く者もゐる。

仕事の内容が似てゐても、所属する会社が違へば、給与の仕組みも違ふ。

同じ現場で、同じ画面を眺め、同じ障害対応に追はれてゐても、受け取る報酬が同じとは限らない。

ITの仕事には、自分が所属する会社と、実際に日々働く場所とが、必ずしも同じではないといふ特徴がある。

顧客から仕事を請ける会社があり、その仕事の一部を別の会社へ依頼し、さらにその会社が人を求めることもある。

かくして、一つの現場に、いくつもの会社から人が集まる。

顧客が支払ふ金額。

元請会社が受け取る金額。

その仕事を別の会社へ依頼する際の金額。

そして、現場で働く本人の給与。

これらは、それぞれ別のものである。

技術者からすれば、同じ仕事をしてゐるやうに見える。されど、その背後には、会社と会社との契約があり、その間には、さまざまな条件や利益が存在する。

ここに、ITの報酬の見えにくさがある。

技術者の価値と、その技術者が受け取る報酬とは、必ずしも同じものではない。

どれほど高度な技術を持つてゐても、所属する会社や契約の仕組みによつて、受け取る金額が変はることがある。

反対に、技術そのものだけでなく、顧客との関係を築く力、仕事を取りまとめる力、契約を結ぶ力によつて、会社の得る利益が大きくなることもある。

さう考へると、IT業界の平均年収を見て、「自分もIT業界へ入れば、この程度の報酬を得られるのだらう」と考へるのは、少し早計かもしれぬ。

平均は、あくまで平均である。

その数字の中には、高い報酬を得る人もゐれば、低い報酬で働く人もゐる。大手企業の社員もゐれば、小規模な会社の社員もゐる。設計や管理を担ふ者もゐれば、運用や監視を担ふ者もゐる。

職種や役割が異なれば、報酬額も異なる。

それらをすべて一つにまとめた数字が、平均年収なのである。

ゆゑに、IT業界を目指す人に伝へたいのは、平均年収を過度に当てにしないことである。

ITは、技術を身につければ、それに応じて必ず高い報酬が得られる世界、というわけではない。

どのような技術を学ぶのか。

どのような仕事を担ふのか。

どの会社に所属するのか。

どのような顧客と、どのような契約のもとで働くのか。

そして、所属する会社や実際に働く職場の雰囲気が、自分の性格や適性に合つてゐるのか。

居心地のよい会社や職場を選ぶことも、ひとつの判断材料である。されど、居心地だけを優先すればよい、といふものでもない。

ITは日進月歩の技術革新が進む業界であり、状況は時々刻々と変はつてゐる。今は居心地がよくても、数年後には、技術や仕事の進め方が大きく変はつてゐるかもしれぬ。

ゆゑに、報酬だけでもなく、居心地だけでもなく、自分がどのような仕事を担ひ、どのような環境で成長し、どのような仕組みの中で報酬を得るのかを、総合的に判断する必要がある。

私の場合も、そのやうに考へ、行動した結果、ある時から年収が上がつていった、というのが実情である。

ただし、それは「IT技術者だから自然に年収が上がつた」といふ話ではない。

転社を重ねるなかで、仕事の内容を見直し、所属する会社を選び、顧客との関係や契約のあり方を知り、自分がどの場所で、どのような役割を担ふべきかを考へてきた。

さうしたことの積み重ねによつて、報酬は大きく変はることがある。

平均年収は、業界を知るための地図にはなる。

しかし、その地図が、自分の歩む道の報酬まで保証してくれるわけではない。

ITの世界へ入らんとするならば、業界の平均を見るだけでなく、自分が実際にどのような仕事をし、どのような会社に所属し、どのような仕組みの中で報酬を得ることになるのかまで、よく見ておく必要があるだらう。

ここに記したことは、あくまでも、多くの転社を経験してきた一人の技術者による私見である。

されど、数字の向こう側にある仕組みを知ることは、これから転社を考へる人にとつて、決して無駄ではないと思ふのである。