パソコンの画面を見てゐれば、仕事なのか

げに信じられぬやうだが、実際にあつた昔の話をしようと思ふ。

筆者は、平成のはじめより社会人として働いてゐたので、パソコンが一人一台となる前の職場を知つてゐる。

当時の職場では、一部の業務は手書きのままで、電子化されてゐないものも多かつた。

本社へデータを送るやうな業務を除けば、パソコンなどほとんど使はず、小口の現金処理などを、すべて手書きで行つてゐる取引先もあつた。

人事関係のファイルも、用度品の管理も、電子化されてゐないものの方が、まだまだ多かつた。

在宅勤務など、ほとんど存在しない。

仕事とは、職場へ行き、そこで人と顔を合わせて行ふものだつた。

このやうな時代であるから、事務所で働く者どもは、誰が何をしてゐるのか、誰が忙しく、誰がそれほど忙しくないのかが、比較的よく分かつた。

ところが、いつしかパソコンが一人一台、与へられるやうになつた。

すると、面白いことが起きる。

席について、パソコンの画面を見てゐるだけで、仕事をしてゐるやうに見えるのである。

かつて、筆者の職場で、上司が営業事務の女性にデータ入力を依頼しやうとしたところ、その女性がテトリスをして遊んでゐた、といふ話を聞いたことがある。

これは、もちろん例外中の例外であらう。

されど、考へてみれば、我々も似たやうなことをしてゐないだらうか。

メールを何通も読む。

チャットに返信する。

会議の資料を作る。

パソコンの画面を一日中眺めてゐる。

それだけで、「今日もよく仕事をした」と思つてしまふことはないだらうか。

仕事とは、本来、パソコンを操作することではない。

営業担当者であれば、会社として約束した売上や成約を得ることが、第一の目的である。

そのために販売促進を行ひ、社内外の人と関係を築き、さまざまな活動を行ふ。

メールを送ることも、資料を作ることも、その目的を達成するための手段である。

経理担当者が、日々、さまざまな経費精算に追はれてゐたとしても、その先には、締め日までに帳簿や金額の整合を取るといふ目的がある。

そして、それらは最終的に会社の財務上の記録へとつながつてゆく。

会社が上場してゐるか否かにかかはらず、会社には株主などの利害関係者に対して、適切に報告する責任がある。

情報処理技術者も同じである。

クライアントから求められた要件を満たすシステムや製品を、きちんと完成させ、納品することが仕事の目的である。

プログラムを書くことも、設計書を作ることも、会議に出ることも、その目的のための手段にすぎない。

ところが、パソコンが仕事の中心になると、いつの間にか、その手段そのものが仕事に見えてしまふ。

ここには、少しばかり注意が必要である。

パソコンを使つてゐることを、仕事をしてゐることの隠れ蓑にしてはいけない。

そして、自分自身も、パソコンを操作してゐるだけで「仕事をしたつもり」になつてはいけない。

この話を、ただの昔話と思はない方がよい。

人力を中心として事務作業をしてゐた時代から、パソコンが一人一台となる時代へ移つて、およそ三十年ほどが過ぎたであらうか。

その間、さまざまな業務が自動化されていつた。

そして、その先に現れたものの一つが、AIである。

これまでのパソコン化や自動化の歴史を、AI社会へ向かふまでの一つの通過点と捉へることもできるだらう。

もし、そう考へるならば、これまでと同じ感覚で仕事をしてゐるだけでは、思はぬところで取り返しのつかぬ差が生じるかもしれぬ。

なぜなら、あなたが何気なくパソコンの画面を眺めてゐる間にも、AIを使つて仕事のやり方そのものを変へた人々が、同じ時間で、はるかに大きな成果を上げてゐるかもしれないからである。

パソコンが普及した時、仕事の仕方は大きく変はつた。

AIが普及する今、また同じことが起ころうとしてゐる。

されど、忘れてはならぬ。

道具が変はつても、仕事の目的まで変はるわけではない。

何を成し遂げるために、その道具を使ふのか。

そこを見失つた時、パソコンもAIも、便利な道具ではなく、ただ画面を眺めるための道具になつてしまふのかもしれぬ。