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パソコンの画面を見てゐれば、仕事なのか
2026年9月19日
パソコンの画面を見てゐれば、仕事なのか
げに信じられぬやうだが、実際にあつた昔の話をしようと思ふ。
筆者は、平成のはじめより社会人として働いてゐたので、パソコンが一人一台となる前の職場を知つてゐる。
当時の職場では、一部の業務は手書きのままで、電子化されてゐないものも多かつた。
本社へデータを送るやうな業務を除けば、パソコンなどほとんど使はず、小口の現金処理などを、すべて手書きで行つてゐる取引先もあつた。
人事関係のファイルも、用度品の管理も、電子化されてゐないものの方が、まだまだ多かつた。
在宅勤務など、ほとんど存在しない。
仕事とは、職場へ行き、そこで人と顔を合わせて行ふものだつた。
このやうな時代であるから、事務所で働く者どもは、誰が何をしてゐるのか、誰が忙しく、誰がそれほど忙しくないのかが、比較的よく分かつた。
ところが、いつしかパソコンが一人一台、与へられるやうになつた。
すると、面白いことが起きる。
席について、パソコンの画面を見てゐるだけで、仕事をしてゐるやうに見えるのである。
かつて、筆者の職場で、上司が営業事務の女性にデータ入力を依頼しやうとしたところ、その女性がテトリスをして遊んでゐた、といふ話を聞いたことがある。
これは、もちろん例外中の例外であらう。
されど、考へてみれば、我々も似たやうなことをしてゐないだらうか。
メールを何通も読む。
チャットに返信する。
会議の資料を作る。
パソコンの画面を一日中眺めてゐる。
それだけで、「今日もよく仕事をした」と思つてしまふことはないだらうか。
仕事とは、本来、パソコンを操作することではない。
営業担当者であれば、会社として約束した売上や成約を得ることが、第一の目的である。
そのために販売促進を行ひ、社内外の人と関係を築き、さまざまな活動を行ふ。
メールを送ることも、資料を作ることも、その目的を達成するための手段である。
経理担当者が、日々、さまざまな経費精算に追はれてゐたとしても、その先には、締め日までに帳簿や金額の整合を取るといふ目的がある。
そして、それらは最終的に会社の財務上の記録へとつながつてゆく。
会社が上場してゐるか否かにかかはらず、会社には株主などの利害関係者に対して、適切に報告する責任がある。
情報処理技術者も同じである。
クライアントから求められた要件を満たすシステムや製品を、きちんと完成させ、納品することが仕事の目的である。
プログラムを書くことも、設計書を作ることも、会議に出ることも、その目的のための手段にすぎない。
ところが、パソコンが仕事の中心になると、いつの間にか、その手段そのものが仕事に見えてしまふ。
ここには、少しばかり注意が必要である。
パソコンを使つてゐることを、仕事をしてゐることの隠れ蓑にしてはいけない。
そして、自分自身も、パソコンを操作してゐるだけで「仕事をしたつもり」になつてはいけない。
この話を、ただの昔話と思はない方がよい。
人力を中心として事務作業をしてゐた時代から、パソコンが一人一台となる時代へ移つて、およそ三十年ほどが過ぎたであらうか。
その間、さまざまな業務が自動化されていつた。
そして、その先に現れたものの一つが、AIである。
これまでのパソコン化や自動化の歴史を、AI社会へ向かふまでの一つの通過点と捉へることもできるだらう。
もし、そう考へるならば、これまでと同じ感覚で仕事をしてゐるだけでは、思はぬところで取り返しのつかぬ差が生じるかもしれぬ。
なぜなら、あなたが何気なくパソコンの画面を眺めてゐる間にも、AIを使つて仕事のやり方そのものを変へた人々が、同じ時間で、はるかに大きな成果を上げてゐるかもしれないからである。
パソコンが普及した時、仕事の仕方は大きく変はつた。
AIが普及する今、また同じことが起ころうとしてゐる。
されど、忘れてはならぬ。
道具が変はつても、仕事の目的まで変はるわけではない。
何を成し遂げるために、その道具を使ふのか。
そこを見失つた時、パソコンもAIも、便利な道具ではなく、ただ画面を眺めるための道具になつてしまふのかもしれぬ。