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人力で支えた会社を、システムが変へてゆく――あるアパレル企業の五年間
2026年9月20日
人力で支えた会社を、システムが変へてゆく――あるアパレル企業の五年間
私がアパレル企業に在籍したのは、五年ほどであった。
その間、同業他社の様子も多少なりとも見聞きしたが、アパレル業界は、他の業種に比べると、人の力で仕事を回してゆく傾向が強かったやうに思ふ。
もう十数年前のことである。
本部倉庫に大量の荷物が届く日ともなれば、本部の男性社員が朝から倉庫へ集合する。着荷場に停まったトラックから段ボール箱を受け取り、リレーのやうにして倉庫の各階へ運び込む。
大型店や本部倉庫の棚卸しで人手が足りないとなれば、本来の業務を一時中断し、店舗の社員と一緒に棚卸しをすることもある。
百貨店の着荷場で荷物を仕分け、上階へ運ぶためのベルトコンベヤーに段ボール箱を載せたこともあった。
大型催事ともなれば、休日に出勤して受付などを手伝ひ、販売員の売上を陰から支へる。
店舗には店舗の仕事があり、本部には本部の仕事がある。
それぞれの役割を担ふために、人が雇はれ、分業が成り立ってゐる。
それでも、節目節目には、
「本部も応援するものだ」
といふ空気があった。
事務方であっても例外ではない。
ただし、ここで誤解してはいけない。
会社が何の備へもなく、本部社員に危険な力仕事をさせてゐたわけではない。事務方の社員にも物流補助作業をさせることを想定し、任意加入の労災保険にも入れてゐた。
今となっては、こうした慣習も変はってゐることだらう。
私がここで昔話をしたいわけではない。
興味深かったのは、こうした「人の力で何とかする」といふ気風が、一つの企業文化として存在してゐたことである。
そして、それには会社側にも、それなりの事情があった。
アパレル業界は、決して単純な物販業ではない。
生地を仕入れ、加工を外注し、製品を受け入れ、物流加工を行ひ、販売促進を行ふ。
さらに会計の側から見れば、期末には製品の仕掛や生地在庫なども把握しなければならない。
一つの商品が店頭に並ぶまでに、実に多くの工程が存在する。
しかも、それぞれの工程を、外部の派遣社員やアウトソーシングだけで簡単に切り出せるわけでもない。
たとへば、仕掛品の数量や金額を把握しようとしても、経理部門だけでは分からない。
製造担当者や物流部門が持つ情報を集め、時には担当者のメモを頼りに数字を積み上げる。
物流加工にしても、取引先によって使用する値札やタグの仕様が異なる。本部倉庫の社員が複数の取引先の商品を並行して加工することもある。
すると、部門ごとの経費を厳密に切り分けることは容易ではない。
売上などを基準に按分する。
今から思へば、かなり大雑把な部分もあった。
経理部長からすれば、頭を抱へたくなるやうな話である。
こうした事情が積み重なると、仕事は次第に人に付いてくる。
「あの数字は、あの人に聞かないと分からない」
「あの処理は、あの人しかできない」
「この取引先のことは、あの人が一番よく知ってゐる」
かくして、部署ごとの属人化が進み、他の社員が簡単には手を出せない領域が増えてゆく。
これは、担当者が悪いのではない。
むしろ、長年その仕事を支へてきたからこそ、その人に知識が蓄積されたのである。
しかし経営者からすれば、いつまでもその状態を続けるわけにはいかない。
売上を伸ばすだけでなく、財務上の健全性を保ち、属人化を減らし、誰かが退職しても業務を引き継げる仕組みを作らなければならない。
会社には、そんな問題意識があったやうに思ふ。
ところが、経理部門の改革は、思ふやうには進まなかった。
経理部長はメガバンク出身であり、金融機関の目から見れば当然と思へる集計方法で、業務を整理しようとする。
しかし、それを現場へ一気に適用すれば、各部門から反発が起きる。
長年の仕事のやり方を変へるとは、数字の書き方を変へるだけではない。
その数字を作ってきた人々の仕事そのものを変へることだからである。
では、すべてが頓挫したのか。
そうでもなかった。
思はぬところから、流れが変はり始めた。
一つは、値札印刷機の機種統一である。
それまで取引先ごとに異なってゐた値札やタグの扱ひを整理することで、タグの印刷枚数を概算ながら把握できるやうになった。
もう一つは、基幹システムの更改である。
単に古いシステムを新しいものへ置き換へるのではない。
営業事務部門を中心として、基幹システムによる業務統制を強める仕様が盛り込まれた。
さらに、それまで販管費などの経理を担当してゐた部署との組織統合も行はれた。
これらが重なり、それまで人の記憶や経験に頼ってゐた部分が、少しずつ数字として捉へられるやうになった。
仕掛品の把握についても、以前より精度が上がった。
売上が伸び悩み、組織も次第に小さくなってゆく時期である。
そんな中で、業務の仕組みを変へる決断をした経営陣には、今振り返っても敬意を覚える。
基幹システムの更改からほどなくして、私はその会社を退職した。
ゆゑに、その後、この仕組みがどこまで定着し、どのやうな効果を上げたのかまでは知らない。
ただ、五年間その会社にゐて、一つ感じたことがある。
アパレル企業は古い体質だ、と言はれることがある。
確かに、人力に頼る仕事も多かった。
しかし、その会社の歩みを振り返れば、ただ古い会社だった、と片付けることもできない。
昭和の頃、その会社は業界では比較的後発でありながら、独自の企画力と製品ブランドによって大きく成長した。
本部の従業員数がそれほど多くない時代にも、受付を置き、館内の電話を各部署へつなぐ交換手まで雇ってゐた。
その後、業界や会社の経営環境が厳しくなるたびに、人員を削減し、業務をオフコンによって自動化していった。
そして、そのオフコンさへ時代に合はなくなったと判断した時には、思ひ切ってWindowsプラットフォームによる基幹システムへ移行した。
私が入社したのは、その後のことである。
こうして振り返ると、システム化とは、単に新しい機械やソフトウェアを買ふことではない。
人の仕事を仕組みに置き換へることは、長年培はれてきた仕事のやり方を変へることである。
それには、現場で仕事をしてゐる人々の理解も必要になる。
何より、
「このままではいけない」
「変へなければならない」
と考へる人がゐなければ、システムを新しくしたところで、古い仕事のやり方を新しい画面で再現するだけになってしまふ。
そして最後には、経営者が決断しなければならない。
私がこの会社で学んだのは、システム化そのものではない。
長年、人の力で支へてきた仕事を変へるには、現場で働く人々の地道な努力と、変はりたい、変へたいといふ思ひがあり、最後には経営陣の決断が要る。
会社を変へるのは、コンピュータではない。
コンピュータを使ってでも変へようとする、人の意思なのである。