ギガ回線、メガ回線、その他回線――それぞれの御国事情

二十代の方なら、物心ついたころには、スマートフォンを手にしてゐた方も少なくないだらう。

三十代の方の中には、インターネットを使ひ始めたころから、比較的高速な通信環境が当たり前だつた方もゐるかもしれない。

しかし、平成の初め頃からインターネットを利用してきた者からすれば、いまの高速通信には、いまだに目を見張るものがある。

日本でインターネットが一般に広がり始めた平成八年頃、家庭からの接続は、固定電話回線を使つて電話をかけるやうな感覚であつた。

Yahoo!のページを一枚表示するにも時間がかかり、画面に情報が少しずつ現れてくるのを眺めながら、すべてが表示されるのを待つ。

いま思へば、実にもどかしい時代であつた。

されど、人の欲望といふものは面白い。

「もっと速く見たい」

「もっとたくさんの情報を受け取りたい」

その思ひが、次々と新しい通信サービスを生み出していつた。

ISDNなどのデジタル回線が登場し、さらに電話線を利用するADSLが普及すると、通信速度は一段と向上した。

それでも、人の「もっと速く」といふ欲望は、留まることを知らない。

今度は、従来の銅線を使つた通信から、光ファイバーを使ふ通信へと、大きく舵が切られてゆく。

光ファイバーによる高速通信網が整備され、少しずつサービスエリアが広がつていく。

いまでは都市部を中心に、ギガ回線を使つて動画を楽しみ、ネットゲームをすることも珍しくない。

しかし、これとて、ある日突然、日本中にギガ回線が現れたわけではない。

地域ごとに設備を整へ、順番にサービスエリアを広げていつたのである。

かく言ふ私の自宅も、東京二十三区内でありながら、光回線の敷設が比較的遅かつた地域にあつた。

「まだ来ないのか」と、開通を待ち遠しく思つた記憶がある。

いまでは光ファイバーによるインターネット接続は全国に広がり、都市部だけでなく、多くの地方都市でも利用できるやうになつた。

ここまで来ると、通信技術の進歩は、まことに目覚ましい。

ところが、ここから先が、私が仕事を通じて知つた「通信のもう一つの顔」である。

通信といふものは、単に速ければよいといふものではない。

ライフラインに近い性格を持つサービスほど、いつでも、どこでも、最新の設備に置き換へられるわけではない。

それを思ひ知らされたのが、地方の小さな自治体に情報システムを納品する仕事に就いた頃であつた。

都会から少し離れ、里山に近い小さな集落などへ行くと、通信回線は、ほかに代替手段の少ない重要な社会基盤になつてゐる。

その地域の危急を知らせる防災無線も、その一つである。

都市部であれば、通信事業者などが整備した比較的新しい設備を利用して、利用者へサービスを提供できる場合もある。

ところが地方では、そう簡単にはいかない。

市町村が整備した回線、既存の電話系回線、いわゆるレガシー回線、無線局など、利用できるものを組み合わせて、ようやく消防分署間のネットワークを構成することもある。

山の上にある無線局を利用することだつてある。

都会の人間からすれば、

「そんな古い回線を、まだ使つてゐるのか」

と思ふかもしれない。

されど、そこに住む人にとつては、それが「古い回線」ではない。

いま必要な通信を支へてゐる、大切な社会基盤なのである。

実際、ADSLのやうな、すでに新しい通信方式に置き換へられたと思はれてゐるサービスでさへ、地域によつては長く利用されてゐた。

NTT東日本では、フレッツ・ADSLの提供終了が2025年まで地域によつて残り、NTT西日本でも未提供エリアなどでは2026年まで提供が続いた。新しい光回線が整備された地域から順次移行が進められたのである。

なぜ、古いサービスをいつまでも残すのか。

答へは、案外単純である。

そこに、まだ利用者がゐるからだ。

通信サービスを提供するには、設備の維持、保守、電力、人員など、さまざまな費用がかかる。

利用者が減れば、一人あたりの負担も大きくなり、事業として維持することが難しくなる。

されど、利用者が一人でもゐる限り、簡単に「明日から終了」とはいかない。

とりわけ、それが地域の行政、消防、防災、医療などを支へる通信であれば、なおさらである。

これは通信サービスだけの話ではない。

郵便などの社会インフラにも、似た事情があるだらう。

便利な新しいサービスが広く普及したからといつて、古いサービスを直ちに捨てられるとは限らない。

そこには、まだそのサービスを必要としてゐる人がゐるからである。

ここに、通信回線を通して見えてくる、地方のもう一つの姿がある。

人口が多い都市部では、多くの利用者がゐるからこそ、新しい設備を整備する経済的な理由が生まれやすい。

一方、人口の少ない地域では、同じ設備を整備しても、利用者の数が少ない。

だからといつて、そこに暮らす人々に通信が不要になるわけではない。

むしろ人口が減れば減るほど、一人ひとりにとつて通信の重要性は増すことさへある。

いまや通信は、単なる「便利な道具」ではなく、生活を支へる社会基盤になつてゐるからである。

昨今、とりわけ地方都市における人口流出や人口減少が社会問題として語られてゐる。

しかし私は、これを通信回線の世界から眺めてみるのも面白いと思ふ。

新しい高速通信網が整備されれば、古い回線は役目を終へる。

けれども、人口が少ない地域では、新しい設備への移行そのものが容易ではないこともある。

古い回線を残すのか。

新しい回線へ移行するのか。

別の通信手段を組み合わせるのか。

そこには、技術だけでは解けない問題が横たはつてゐる。

通信網は、人の暮らしがどこにあり、どれほどの人がそこに住み、どれほどの費用をかけて社会を支へるのか――そんなことまで映し出してしまふ。

ギガ回線もあれば、メガ回線もある。

光ファイバーもあれば、無線もある。

そして、まだ役目を終へてゐないレガシー回線もある。

それぞれに、それぞれの御国事情がある。

通信速度だけを見てゐれば、世の中はひたすら速くなつてゐるやうに見える。

されど、その通信網の末端まで足を運んでみると、そこには「速さ」だけでは語れない、日本のもう一つの姿が見えてくるのである。