そういえば、ユビキタス社会という言葉が盛んに使はれてゐた頃、NTTドコモのCMで、昔のテレビアニメ「スーパージェッター」を題材にしたものがあつたやうに記憶してゐる。

未来の少年が腕時計型の通信機を使つてゐる。

そんな、当時としては夢のやうな光景を映し出しながら、「今では当たり前になりました」といふ趣旨のCMであつたやうに思ふ。

「スーパージェッター」が放送されたのは昭和四十年、つまり一九六五年のことである。

さすがに、その頃の私はまだ生まれてゐない。

それでも、後の世代である私が、子供の頃に見た未来の姿と、自分が技術者として働く時代の現実とを重ねてみると、なかなか面白い。

昔の人が描いた「未来の通信」は、今ではスマートフォンという小さな板の中に収まつてゐる。

そして、そのスマートフォンで電話をし、買ひ物をし、ニュースを読み、地図を見て、遠くの人と顔を見ながら話をする。

未来とは、ある日突然やつて来るものではないのかもしれない。

誰かが想像し、誰かが技術にし、誰かが商品にし、そして私たちが毎日使ふやうになつたとき、いつの間にか「当たり前」になつてゐる。

「ユビキタス社会」といふ言葉も、さうして役目を終へたのだらう。

言葉は消えても、その中身は残る。

これもまた、技術の面白いところである。