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日本人には、今でも黒船は必要か!
2026年10月14日
前回、中国人の上司について書いた。
仕事はすこぶるできる。ところが、どれほど大変な事態が起きても、時間外勤務はしない。少しでも体調に不安があれば、回復するまで仕事を休む。そして、部下の仕事を円滑に進めるための社内調整も、必要以上には引き受けない。そんな人だった、という話である。
こうした行動に違和感を覚えていたのは、私だけではなかったらしい。
ある日、彼が病欠した際、直属の部長が、こんな趣旨の嫌味を口にした。
「テレワークでもできる仕事なんだから、溜まっている事案だけは処理しておけばいいのに……」
この発言があったのは、すでに令和に入ってからのことだった。
「親しき仲にも礼儀あり」という言葉もある。病気で休んでいる人に対して、少々不適切な発言ではないか。そう思う一方で、「さもありなん」と感じる自分もいた。
というのも、この部長殿は、だいたい私と同世代だったからである。
平成の初めごろ、私が在籍していた会社や、その取引先では、今から考えると驚くような仕事観が、当たり前のものとして通用していた。
もちろん、部長殿が私と同じ環境で働いていたかどうかは知らない。ただ、あの発言を聞いたとき、私は昔の職場で経験した、ある出来事を思い出したのである。
あれは、朝から猛烈な雪が降っていた日のことだった。
都内で重要な工事が予定されていたため、私はいつもより三十分ほど早く家を出た。積雪によって公共交通機関が大幅に遅れる恐れがあったからだ。
当時は、今のようにインターネットで交通情報を確認できる時代ではない。テレビのニュースなどで状況を知るしかなく、情報も十分に細かいとはいえなかった。
最寄り駅に着いてみると、JRは運休していた。
困った。遅れることを連絡したくても、当時は携帯電話どころか、ポケベルすら持っていなかった。会社に電話をしたところで、まだ誰も出社していないだろう。
忙しそうにしている駅員に運転再開の見通しを尋ねると、「三十分くらいで」という返事だった。
集合時間には多少遅れてしまうが、現地に行けないわけではない。この悪天候なのだから、仕方がない。先に着いている人がいたら、まずは謝ろう。
そんなことを考えながら、私は現地へ向かった。
結局、到着したのは予定より四十分ほど遅れてからだった。
ところが、驚いたことに、私以外のメンバーは全員すでに到着していた。
私はお詫びをしようとした。すると、私の住まいを知っていたリーダーが、こう言ったのである。
「JRの駅から十五分か二十分歩けば、新高円寺駅に着く。丸ノ内線は通常どおり動いていたから、間に合ったはずだ。なぜ、そうしなかったんだ。皆、そうやって来たんだぞ」
さすがに、私は言葉を失った。
確かに、別の駅まで歩けば、間に合った可能性はある。しかし、事前にその経路を知っていたわけでもなく、駅員から聞いた運転再開の見通しを頼りに判断したのである。
それでも、当時の職場の空気のなかでは、反論することなどできなかった。
この話を聞いて、皆さんはどう思われるだろうか。
良いほうに解釈すれば、「昔の人は仕事に対する責任感が強かったんだね」となるのかもしれない。
しかし、一人の従業員として、こうした行動が本当に推奨されるべきものなのだろうか。
大雪で交通機関が止まっても、予定どおりに出勤する。どんな事情があっても、予定された業務を遂行する。それこそが、責任ある社会人の姿なのだろうか。
もちろん、重要な工事を予定どおりに進める責任はある。私自身、仕事を放り出してよいと言いたいわけではない。
ただ、責任を果たすことと、どんな状況でも無理をして予定どおりに動くことは、同じではないはずである。
当時、私の周囲には、労働者の立場からすると首をかしげたくなるような慣行が、ほかにもいくつもあった。
サービス残業。指示命令系統が曖昧なまま、行き過ぎたサービスや接待を求められること。仕事なのだから、会社のためなのだから、といった理由で、本来なら説明が必要なことまで、暗黙の了解として押し通されるのである。
では、こうした日本人の働き方を、外国人労働者はどのように見ていたのだろうか。
少なくとも、いま多くの外国人が日本で働くなかで、あの部長のような発言をしたら、どのように受け止められるだろう。
職場によって事情は異なるだろうし、外国人だからといって、皆が同じ考え方をするわけでもない。
それでも、仕事の責任や働く条件について、言葉にせずとも分かるはずだ、という前提は、以前ほど通用しなくなっていくのではないか。
とりわけITの仕事では、作業の手順も、承認の条件も、責任の所在も、明確にしておかなければならない場面が多い。
「もう大人なんだから、言わなくても分かるだろう」
そんな一言で済ませてしまえば、認識の食い違いが起きる。ましてや、雇用契約や就業規則、法律などで説明されるべき労働条件を、職場の空気や昔からの慣習だけで押し通すことはできない。
日本は、かつて黒船の来航をきっかけに、大きく変わることを迫られた。
では、今の日本の職場にも、黒船は必要なのだろうか。
外国人と一緒に働くことによって、私たちが当たり前だと思ってきた仕事の習慣を、改めて見直す機会が生まれるのかもしれない。
かつては疑問にも思わなかった働き方が、いつの日か、昔話として語られるようになる。
そんな日が来ることを、私は期待している。