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コロナは黒船だったのか――テレワークが変えた日本の働き方
2026年10月15日
以前の投稿「消えた言葉、実現した未来――ユビキタス社会のその後」消えた言葉、実現した未来――ユビキタス社会、その後、の追記でも書いたが、2020年には、技術的には、すでに日本はユビキタス社会を実現できる環境にあった。
にもかかわらず、人々は育児や介護の問題を抱えながら、それを何とかやりくりし、家を出て、満員電車に揺られ、会社へ出勤していた。そして、時には気の合わない上司や同僚とも机を並べて仕事をする。
少々言葉は悪いが、事務所に出勤すること自体が、仕事になってはいなかっただろうか。
そんな疑問を抱えながら、私たちはコロナ禍を迎えることになる。
感染拡大を防ぐため、人との接触を極力避けなければならなくなった。そこで一気に注目されたのが、テレワークである。
私には、テレワークの普及は、ある意味で当然の帰結だったように思える。
とりわけIT関係の企業であれば、技術的には、当時の環境に少し手を加えるだけで、安全にテレワークを実現できることは分かっていたはずだ。もちろん、情報セキュリティーや業務上の制約など、解決すべき課題はあった。それでも、技術的にできることと、実際に会社がそれを認めることとの間には、大きな隔たりがあった。
ユビキタス社会を実現する技術があったのに、なぜ日本では、テレワークへの移行がなかなか進まなかったのか。
私は、その背景には、日本人の労働観や職場の慣習もあったのではないかと思う。ただ、この点を深く掘り下げるのは、ここでは控えておこう。
ともかく、感染症対策という、もはや選択の余地がない状況に追い込まれて、ようやくテレワークへ大きく舵を切った。なんとも日本らしい、と感じるのは私だけだろうか。
鎖国を続けていた江戸幕府が、ペリーの黒船来航をきっかけに、開国へと大きく動いた姿を思い起こす。
自ら進んで変わったというより、外からの強い圧力によって、変わらざるを得なくなったのである。
ところが、感染症の流行が落ち着くと、今度は出勤へ戻そうとする動きが現れた。これもまた、日本らしいと言えるのかもしれない。
農村社会のなかで、周囲と足並みをそろえ、集団で行動することを重んじてきた。そのような社会のあり方が、今も職場の習慣に影響しているのだろうか。
出勤して顔を合わせることに安心感を覚え、同じ場所で働くことに価値を見いだす。そんな「出勤の美学」が、どこかに残っているようにも思える。
ただ、テレワークから完全出社へ戻った会社が、世間で言われるほど多いのかどうか。数字を見てみよう。
ザイマックス総研が公表した「大都市圏オフィス需要調査(2025年)」では、企業1,527社への調査で、完全出社と回答した企業は22.3%だった。一方、77.5%の企業は、程度の差こそあれ、テレワークを継続していた。
もちろん、これは調査対象となった企業の結果であり、日本中のすべての会社にそのまま当てはまるわけではない。それでも、出勤回帰の動きがある一方で、テレワークという働き方が消えてしまったわけではないことは分かる。
私たちは、出勤とテレワークという二つの働き方を手に入れた。
業務の性質や職場の事情によって、どちらが適しているかは異なるだろう。すべてをテレワークにすればよいという話でもない。
しかし、仕事の内容によって働く場所を選び、事情に応じて柔軟に働けるようになったことは、歓迎すべき変化だと思う。
私自身、テレワークがまだ一般的でなかったころ、もしその制度が定着していれば、乗り越えられたかもしれない事情があった。
介護のために、休暇を取らざるを得なかったのである。
もちろん、介護は、働く場所を変えるだけですべて解決するものではない。それでも、通勤の負担がなくなり、仕事を続けながら家庭の事情に対応できる選択肢があれば、違った結果になっていたかもしれない。
そう考えると、コロナ禍によって急速に広まったテレワークは、単に働く場所を変えただけではなかった。
それまで会社に出勤することを前提としていた働き方に、別の選択肢を加えたのである。
黒船は、開国を迫るためにやって来た。
では、コロナという黒船は、日本の職場に何を残したのだろうか。
出勤に戻った会社がある一方、テレワークを続ける会社もある。大切なのは、どちらか一方を正解と決めつけることではないだろう。
仕事とは、会社にいることなのか。それとも、必要な仕事を果たすことなのか。
あのコロナ禍は、私たちに、その当たり前のようでいて、なかなか答えの出ない問いを突きつけたのだと思う。