3-hitech-history
深夜、交換部材を抱えて住宅地の機械室へ――若き日のネットワークエンジニア
2026年10月22日
あれは四半世紀以上前、交換機の仕事からネットワークエンジニアに転身したばかりの頃だったと思ふ。
ネットワークについては初心者だった。ゆゑに、できるだけ経験を積まうと、しんどい仕事であっても、できることは進んで引き受けてゐた。
当時は、いはゆる「輪番」といふ仕事をしてゐた。詳しくは、以前の記事
[365日24時間の輪番]
(https://note.com/sheep_monologue/n/nf6c2611421ae)
を参照していただきたい。
朝勤と夜勤の二交代制で、監視センターと呼ばれる執務室に詰めてゐる。監視装置から警告メッセージが表示されたり、警報音が鳴ったりすると、マニュアルに従って障害箇所を特定し、事象を切り分けるのである。
当時の私は、自分で原因を突き止め、障害を直せるほどの技術を持ってゐなかった。作業フローに記載された事象であれば、マニュアルどおりに対応する。ところが、手順書にない事象が起きれば、たとへ深夜であっても、責任者の携帯電話に連絡して判断を仰ぐことになってゐた。
その夜、例外的な対応が必要になった。
障害の原因が分からなかったわけではない。必要な交換部材が、保守業者の倉庫に見つからなかったのである。
責任者に連絡すると、こんな指示が返ってきた。
「事務所に該当する部品があるから、キミだけシフトを抜けて、現地まで駆けつけてくれ」
時刻は、もう22時近かった。
されど、責任者の指示に背くわけにもいかない。私は重たい部材を抱え、事務所を出て現地へ向かふことになった。
事務所も現地も都心にあったため、まずは電車で最寄り駅まで行き、そこから徒歩でNTTの局舎へ向かふ。
IT業界に縁のない方には、意外に思はれるかもしれない。通信設備の局舎やデータセンターは、施設によっては最寄り駅からかなり歩くことがある。もちろん、駅から近い施設もあるが、その日の目的地は、歩いてゆうに20分はかかる場所だった。
しかも、閑静な住宅地の中にある。
外灯は少なく、あたりは静まり返ってゐる。左手には大きな池があり、人影もない。公園を横切っていく道は、何かが出てきてもおかしくないやうな、不気味な雰囲気だった。
ようやく目的のビルに着いたものの、そこは無人だった。
門扉も建物の中も、持参した入館カードを使って入る。ところが、入館の仕組みは施設ごとに異なる。実際に現地へ行ってみなければ、手元のカードでどこまで入れるのか、確実には分からない。
そんな不安を抱えながら、ひとりで機械室へ入った。
持ち込んだ部材を交換する。作業が終われば、監視装置の表示が故障状態から正常状態に変わるはずだ。事務所に連絡し、復旧したことを確認してもらってから、ようやく退館できる。
作業そのものに手間取ったわけではなかった。
それでも、ビルを出たときには、すでに午前零時近くになってゐた。
私は大急ぎで駅へ向かひ、何とか終電に飛び乗った。ところが、事務所のある地下鉄の駅まで行く路線は、もう運行を終へてゐた。
仕方なく、JRの駅から30分以上歩いて事務所へ戻った。そして、そのまま輪番業務を早朝まで続けたのである。
今の感覚からすれば、なかなか無茶な働き方だったと思ふ。労務管理の考え方も、当時と今とでは違ふ。少なくとも、現在なら勤務時間や休息の取り方について、問題になり得る状況だらう。
ただ、当時の私の職場では、こうした対応が珍しいことではなかった。
この話を聞けば、「なんて劣悪な職場なのだ」と驚く方もゐるかもしれない。
されど、私にとっては、交換機の仕事のほうが体力的にもっとしんどかった。さらに、その後に経験した自治体関連の案件では、野生動物がゐても不思議ではない低い山の中にある基地局まで出向いたこともある。
だから、あの夜のことも、私にとっては数ある現場経験のひとつなのである。
もちろん、昔の働き方を、何でも美談にすればよいとは思はない。今なら違った対応が求められることもあるだらう。
それでも、経験の浅かった私が、深夜の住宅地を歩き、ひとりで機械室に入り、障害復旧のために部材を交換した。あの夜のことは、今でも記憶に残ってゐる。
そして、こうした体験を、今になって皆さんにお話しできる機会を持てたことを、ありがたく思ってゐる。