犯人は誰だ――攻撃を受けた夜、通信事業者の現場で

もう、かなり昔のことである。都内某所にある、ある通信事業者での話だ。

その会社は、法人向けに高品質のブロードバンド回線を提供していた。サービスは24時間365日体制。夜間でも事務所に人を常駐させ、故障や顧客からの申告があれば、速やかに対応することを営業方針としていた。

当時の私の仕事は、主に次の三つであった。

・通信回線の監視と、故障時の修理対応

監視装置から警告音が鳴ると、顧客専用の連絡先に電話をかけ、現地で作業をしているかどうかを確認する。

作業中でなければ、通信障害の可能性がある。そこで保守員を現地に派遣するよう依頼し、復旧するまで電話で作業の指示や状況確認を行う。

・回線の追加・削除作業

新規契約による回線の追加や、解約に伴う削除などを、事務所からパソコンを使って遠隔で設定変更する。

・夜間の顧客からの問い合わせ対応

夜間でも、顧客から電話で問い合わせを受けることがある。すぐに回答できる内容ならその場で答え、急ぎでなければ、翌日の日中に改めて対応していただく。

こうした業務は、基本的にマニュアルに沿って進める。

マニュアルだけでは対処できない事象が発生した場合は、時間帯にかかわらず責任者の携帯電話に連絡し、判断を仰ぐことになっていた。

普段は定型業務が中心である。障害などが発生しなければ、持ち込んだ本を読んだり、個人的にインターネットを閲覧したりしていても、特に注意されることはなかった。

朝になり、日勤の担当者が出社すれば、引き継ぎをして帰る。

以前の記事「365日24時間の輪番」でも触れたが、普段は実に平和で、どこか牧歌的な業務だったのである。

こちらは、365日24時間の輪番を合わせて参考にしてほしい。

その夜も、私はいつものように監視業務をこなし、朝の引き継ぎ時間を待っていた。

ところが、午前2時ごろだっただろうか。

突然、監視装置に併設された警告音が、けたたましく鳴り響いた。

管理装置の大画面には、上段に監視対象の装置を表すアイコン、下段にエラー内容を示すメッセージが表示される。

通常の顧客側の故障であれば、障害を示すアイコンは一か所だけである。

しかし、このときは違った。

複数のアイコンが一斉に障害を示し、その数が次々に増えていく。

一つの回線の故障ではない。しかも、夜間シフトのメンバーだけで対処できる規模でもなさそうだ。

私は責任者の携帯電話に連絡した。

責任者たちが事務所に到着するまでの間、発生している事象を箇条書きにして整理する。サービスに影響が出ている場合は、顧客や関係部署への連絡も必要になる。

静かだった夜勤は、たちまち慌ただしいものになった。

もっとも、当時の私は一監視員であり、攻撃の原因を自分で解析していたわけではない。

その後、関係者から聞いた話を私なりに整理すると、事態はおおむね次のようなものだった。

・ある教育機関Aから、企業Bのシステムに対して大量のデータが一方的に送りつけられている。

・その影響で企業Bのシステムにアクセスしづらい状態が続き、業務に支障が出ている可能性がある。

・通信事業者と企業Bとの間には、SLA(サービス品質保証)に関する取り決めがある。回線の品質や利用可能性に問題が生じれば、契約上の責任だけでなく、会社の信用にもかかわる。

・ところが、攻撃元に見える教育機関Aは、全国的にも知られた権威ある組織である。そこが、わざわざ民間企業に攻撃を仕掛けているとは考えにくい。

では、何が起きていたのか。

当時、私が関係者の話から理解したのは、教育機関Aそのものが攻撃者なのではなく、何者かがAになりすまし、企業Bに対して攻撃を仕掛けているらしいということだった。

つまり、攻撃を受けている企業Bだけでなく、攻撃元に見えている教育機関Aも、被害を受けている側かもしれないのである。

通信事業者側では、特別な通信制御の設定を行うことで、問題となっている通信を遮断できたという。

ひとまず、技術的な対処はできた。

しかし、そこで終わりではない。

企業Bに対して、何を、どこまで、どのように報告したのだろうか。

当時、一監視員にすぎなかった私には、その後の詳しいやり取りを知る立場にはなかった。

それでも、今になって思い返すと、気になることがある。

あのとき、攻撃の全体像はどこまで分かっていたのだろうか。本当の攻撃者は誰だったのか。そして、攻撃元に見えた教育機関Aでは、何が起きていたのだろうか。

当時の攻撃手法は、現在と比べれば、まだ単純なものだったのかもしれない。

しかし、攻撃者が身元を隠したり、別の組織が攻撃しているように見せかけたりする問題は、今もなくなったわけではない。大量の通信によってサービスに支障を与える攻撃に対しては、通信事業者による通信制御や、専用の対策機器・サービスなど、複数の手段が用いられている。されど、どんな対策を講じても、すべての攻撃を防げるわけではない。

もし、あの当時、現在のようなセキュリティ対策の仕組みが整っていたら、被害を防げたのだろうか。

あるいは、攻撃を早く検知し、影響を小さくすることはできたのだろうか。

今となっては、確かな答えはない。

ただ、あの夜のことは覚えている。

いつものように朝を待っていた事務所で、突然、警告音が鳴り響いたこと。そして、画面に現れた障害表示が、次々と増えていったこと。

普段は牧歌的な夜勤であっても、ひとたび異常が起きれば、そこは企業のサービスと信用を守る最前線になる。

そして、画面に表示された通信の向こう側には、何者かの意図が隠れていることもある。

犯人は誰だ。

その問いに、当時の私は答えられなかった。

そして今も、インターネットの向こう側で起きていることのすべてを、私たちが知ることはできないのである。 それは、音が生成される時代である。

この話については、次の機会に譲りたいと思う。