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1. 介護生活は突然に ~介護者・介助者デビュー
2026年9月8日
その日は、本当に突然やってきた。
母はかねてより甲状腺の持病があり、ときどき入院することはあったものの、父が存命だった2、3年前までは在宅介護をほぼ一人でこなし、「驚異の80代だ」と感心させられていた。
だが、その父が亡くなった途端、一気に生気が抜けてしまったのか、母の歩行スピードは著しく落ちていった。
そんな様子を心配してか――あるいは長姉の差し金だったか、クロガネ総合病院の担当医の判断だったか、今となっては定かではないが――ある日、地域包括支援センターの職員が自宅を訪ねてきて、あれよあれよという間に介護認定の申請をすることになった。
結果は「要支援2」。 多くの介護サービスが使えるわけではないが、ケアマネジャーの話によれば、車椅子のレンタルくらいはできるようだった。
ここで問題になるのが、我が家の登場人物たちの性質である。 長姉は頭が切れ、万事理詰めで話を進めたがるタイプだ。正論を武器に、それも最も手堅い方法でストーリーを組み立て、有無を言わせず人をそこに誘導したがる。人間にはプライドや自尊心があり、たとえ「正しい」と分かっていて従えない気持ちがあることなど、彼女の辞書には斟酌(しんしゃく)という文字はない。事実、彼女自身は「足腰が利かなくなったら、今のマンションを引き払って有料老人ホームに入る」と割り切っているような人間なのだ。
一方、母は意外とプライドが高い。80代半ばを迎えようとも、「年寄り扱い」されてうやうやしく振る舞われることを極端に嫌う。
だから、長姉が「車椅子を使いなさい」とゴリ押ししたときも、母は露骨に態度を曖昧にし、絶対に首を縦に振らなかった。
さて、ここで困ったのが現場を預かる私である。真正面から説得しても無駄だと踏んだ私は、一計を案じた。 要するに、理屈ではなく「車椅子の効用を体感(試乗)してもらう」ことだ。
とはいえ、最初から介護サービスで正式に車椅子をレンタルするのは愚策である。調べてみると、地域包括センターで車椅子を無償で1週間借りられるという情報をキャッチした私は、「満開の桜を見に、昭和記念公園へ行こう」と母を誘った。見事に作戦は当たり、母は二つ返事でOKを出した。
立川駅ビルでみたらし団子を仕込み、いざ記念公園へGO。 こもれびの里で昔の農村風景を目にしたとき、母はすっかりノリノリになっており、「車椅子に押されている屈辱」などきれいさっぱり忘れている様子だった。 「桜の園」で満開の桜を見たときの満面の笑みといったらなかった。そう、車椅子の乗り心地は、案外悪くなかったのだ。
この試乗体験が功を奏したのか、帰宅後、母は車椅子のレンタルをあっさりと快諾してくれた。
その余韻が冷めないうちに、私はケアマネジャーと連携し、室内の手すりやスロープの設置申請を完了させた。こちらはスムーズに承認された。
ついでと言ってはなんだが、このタイミングで我が家には、保険適用外の「最高級ウォシュレット」が突如として降臨することになる。我が家にとってこれが記念すべき最初のウォシュレット導入だった(当時は全自動ですべてが完璧だと思ったが、後に故障のオンパレードで泣くことになるとは、このときの私たちは知る由もない)。
こうして、我が家のガチでキケンな介護生活の幕が、文字通り音を立ててスタートしたのだった。