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母手製のおにぎりと唐揚げ
2026年10月7日
母手製のおにぎりと唐揚げ
私が子供だった1960年代、外食はまだ日常のものではなかったように思う。実際、当時の家計調査を見ても、食卓予算に占める外食の割合はわずか数%程度であった。
日本フードサービス協会(JF)等の業界推移データ(※総務省『事業所・企業統計調査』『経済センサス』など)を見ても、1970年(昭和45年)に約40万〜45万店・約2.8兆円であった外食市場は、現在では約70万〜75万店・25兆〜26兆円規模へと成長している。50年前と比較すると、市場規模にして実に10倍近くに膨れ上がったことになる。
日本で「外食産業」が産声を上げたのは、1970年の「すかいらーく」創業頃とされる。長姉がマクドナルド(当時の新宿二幸店)でハンバーガーとフライドポテトを買ってきてくれたのも、ちょうどこの時期だったような気がする。
当時は夫婦共働きも今ほど一般的ではなく、我が家も母は専業主婦であった。そのため、ちょっとしたお出かけ——例えば上野動物園や国立科学博物館などへ行く際も、お弁当を持参するのが当たり前だった。後楽園ゆうえんちやとしまえんといった遊園地へ行った時だけは例外的で、園内で売られている焼きそばやスパゲッティを買ってもらえることもあった。
平成や令和の世に生まれた方には想像しにくいかもしれないが、当時の子どもにとって「外食」とは、まさにハレの日の特別なイベントだったのだ。
そんな時代にあって、我が家は他所より経済的に恵まれていたものの、母は大変な倹約家であった。油壺マリンパーク(神奈川)へ行った際も、私は密かに外食を期待したが、昼食はやはり持参したお弁当だった。
小学校入学前のことゆえ、この時具体的に何を食べたのかまでは覚えていない。ただ、家族で遠出をする際のお弁当といえば、少しの野菜類に、おにぎりと唐揚げというのが定番だった。外でも気軽に美味しく食べられるこの組み合わせは、母の、ひいては日本人の知恵の表れとも言えよう。
今、手元に一枚の写真がある。小学1年生の頃、父の同僚たちと出かけた御岳山(東京)の長尾平で、唐揚げを頬張る自分の姿が写っている。
母の手弁当は親しみ深く、私にとって最高の味であったが、とりわけ重箱の中に唐揚げを見つけた時の心躍る気持ちは格別だった。
その唐揚げも、母が介護を必要とし、台所に立てなくなったことで二度と味わえなくなった。「家族にはできるだけ自分の作ったものを食べさせたい」という、台所を預かる主婦としての矜持とは裏腹に、身体が言うことを聞かなくなっていったのだ。
母が亡くなって、早8年の歳月が経とうとしている。 あの唐揚げはもう二度と食べられない。けれど、スーパーの総菜コーナーに行くと、つい手にとり買ってしまうのだ。
母の唐揚げの隠し味はショウガだったが、スーパーのそれは、ニンニクの香りがする。