オトコ同士のヒミツ――万惣フルーツパーラー

前話でも触れたが、我が家で外食をしたり、弁当を売店で買ったりすることは殆どなかった。

小学校の夏休みになると、父が私たちきょうだいを連れて、叔母のいる千葉県の館山へ長期滞在するのが恒例だった。しかしその道中でさえ、車内食堂サービス(当時はまだ存在していた)を利用したり駅弁を買ったりすることはなく、母が手製のおにぎりとおかずを車内に持ち込んでいた。

この時ばかりは母が東京に残っていたため、父が駅の売店で冷凍ミカンくらいは買ってくれたのだが、それ以外の外食は一切なし。だからこそ当時の私にとって、「外食」という言葉には途方もない憧れがあったのだ。

あれはいつ頃だったろう。多分、小学校低学年頃のことだったと思う。 父と二人で交通博物館へ行ったときのことだ。現在は大宮に移転しているが、当時は神田須田町にあった。

食事となると、いつもは館内や外の広場のようなところで持参したお弁当を開くことになっていた。その日も例に漏れず、いつものようにお弁当で昼食を済ませた。見学を終えれば、JR御茶ノ水駅に向かって歩き、電車に乗って帰宅するのが常であった。

しかしその日、父はなぜか御茶ノ水駅とは反対の方向へ歩き出した。 まだ幼い私は理由を尋ねることもせず、ただ黙って父の後をついて行った。

しばらく歩くと、父は喫茶店が入った比較的大きなビルの前で足を止めた。 そして、「お母さんには内緒だぞ」と小さく言って、私を店内に案内してくれたのだ。

そここそが、今はなき「万惣フルーツパーラー」であった。

上質で豪奢な内装に、胸の高鳴りを抑えることができなかった。 やがてテーブルに運ばれてきたのは、重ねて積まれた熱々のホットケーキ。

溶けたバターが鼻孔をくすぐる。一口口に運ぶと、フワフワとしたパン生地の香ばしさとシロップの甘さが絶妙に絡み合った。

母が作ってくれるホットケーキとは比べものにならない、まさに別次元の味。「ホットケーキ」という一般的なカテゴリにしてはいけないような、いっそのこと「万惣パンケーキ」という別の食べ物に分類したくなるほどの感動だった。

だが、私の記憶では、子どもの頃に万惣フルーツパーラーへ連れて行ってもらったのはその一度きりだった。

それでも人生というものには、不思議な縁というものがあるらしい。 後年、私は思いがけない形で万惣のホットケーキと再会することになる。なんと、かつて私が勤めていた会社の取引先の一つが、万惣ビルの一テナントに入っていたのだ。

打ち合わせが終わった後、会社に内緒でこっそり万惣へ寄り、ホットケーキと紅茶を楽しんだりしたものだった。

それからしばらくして、万惣フルーツパーラー閉店のニュースが飛び込んできた。 居ても立ってもいられなくなった私は、営業が終わってしまう前にと駆けつけ、お別れの珠玉のホットケーキを噛みしめた。

閉店後もあの味が忘れられず、美味しいと評判を聞いては都内の老舗喫茶店などでホットケーキを食べてみた。しかし残念ながら、万惣と肩を並べられるものには出会えなかった。

否、日本国内にとどまらず、チャオプラヤ川沿いに佇む五つ星ホテル「マンダリン オリエンタル バンコク」で食べたホットケーキでさえ、万惣には遥かに及ばないとさえ感じた。

もしかしたら、客観的な味だけで言えば、万惣より美味しいホットケーキは世の中にあったのかもしれない。 だが、あの店内の上質な空間とともに味わったあの日の記憶は、他の何物にも代えがたいものだったのだ。

あれから50年以上が経つが、万惣のことは何ひとつ話さぬまま、母は逝った。 ああしてあの日、父と交わした「お母さんには内緒だぞ」という男同士の約束は、私は最期まで守り抜いたことになる。