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列車の食堂サービスの各国事情
2026年10月9日
列車の食堂サービスの各国事情
あなたは、列車内の食堂サービスを利用したことがあるだろうか。
かつて長距離特急列車と言えば、大抵は食堂車がついているのが当たり前の時代があった。 我が家では夏休みともなると、父ときょうだいで叔母の住む千葉県の館山へ長期滞在するのが恒例で、両国駅から特急に乗って向かったものだ。内房線の特急にも食堂サービスはあったのだが、大変な倹約家であった我が家がそれを利用することは一度もなかった。
だが、ただ一度だけ、食堂車を利用した記憶がある。 家族総出でかみのやま温泉(山形)と仙台の知人を訪ねるため、夜行列車に乗り込んだ時のことだ。
興味本位で実兄と食堂車両に足を踏み入れたことはあったが、実際に席につき、料理が運ばれてくるのを待つのは生まれて初めての体験だった。まるで高級ホテルのメインダイニングでフレンチでも味わうかのような、王侯貴族にでもなったかのような誇らしげな気分に浸ったものだ。
何とも心地よい時間だったのだが、残念ながらその時何を注文して食べたのかは忘れてしまった。けれど、あの胸が高鳴るような幸せな空気感だけは、今でもはっきりと覚えている。
その後、日本の高速鉄道は目覚ましい発達を遂げ、航空機利用も一気に一般化した。 私が大阪万博(1970年)のために乗車した東海道新幹線は、東京〜大阪間を4時間近くかけて走っていたが、今や2時間30分ほどと1時間以上も短縮されている。広島や青森、南紀白浜などへ向かうにも飛行機を使うのが一般的になった。移動時間が劇的に短くなったことで、車内で優雅に食事を摂る需要そのものが薄れ、食堂サービスは必然的に姿を消していったのだろう。
現在でも近鉄の観光特急「しまかぜ」やJRの「サフィール踊り子」などでカフェスペースの営業はあるようだし、氷見線を走る「べるもんた」のように事前予約で寿司や弁当を提供する列車もある。しかし、車内で本格的に調理した熱々の料理を振る舞うようなかつての本格的な食堂車は、日本の日常からはほぼ全滅してしまった。
そんな風に日本で次々と食堂車が休止していった1990年代後半、私は海外でそのサービスを心ゆくまで堪能する機会を得た。
舞台はタイ・バンコクのファランポーン駅からシンガポールまで伸びる、マレー西海岸鉄道の旅である。(残念ながら現在シンガポール駅は廃止されてしまったが、当時はペナン島の対岸にあるバタワース、クアラルンプール、ジョホールバルを巡る壮大な路線だった)。
日本で食堂車が消えゆく時代だったからこそ、「こんな貴重な機会は二度とないかもしれない」と、車販の弁当には目もくれず、できる限り食堂車に通い詰めた。食事中に車内が激しく揺れて麺類のスープがテーブルにこぼれそうになったり、ガパオライスが当時のタイの物価からするとかなり強気な値段(日本円で700円以上)だったりと、昔の日本の行き届いたサービスとは一味違う大雑把さもあったが、それも含めて実に味わい深い時間だった。
――そして、この鉄道旅では食の思い出だけでなく、かつての日本の「昭和の国鉄時代」をふと思い出させるような、ある強烈な場面にも遭遇することになる。
若い世代の方はご存知ないかもしれないが、国鉄時代の職員といえば接客態度の横柄さで知られていた。乗客に対してどこか「乗せてやっている」と言わんばかりの態度が残っていたのだ。
実は当時のタイ国鉄も国営であった。寝台列車では夜になると、職員が各ボックスを回ってベッドメイクを行っていく。準備が整った席から順に横になれるのだが、とにかく彼らの動作はのんびりとしていてマイペースだった。
私もどちらかと言えばせっかちな性分だが、その日同じ車両に乗り合わせていた西欧系の男性客もそうだったらしい。 痺れを切らした彼は英語で、「随分と手際が悪いじゃないか、早くしてくれ!」と強い口調で催促してしまったのだ。
すると、その言葉を聞いた途端、タイ人の職員は作業の手をピタリと止め、無言のままその車両から立ち去ってしまった。なんと、その男性のベッドメイクを完全にボイコットしてしまったのである。
激怒する西欧人男性だが、意地を張れば今夜は横になって眠ることすらできない。見かねた英語のわかるタイ人乗客が仲裁に入り、男性が先ほどの無礼を詫びることで、ようやく作業が再開されたのだった。
かつての日本の国鉄職員の塩対応を知る身としては、見ていて何とも耳の痛い、だがどこか懐かしい光景でもあった。
食事の思い出からは少々脱線してしまったが、時代と国境を越えた先で、かつての日本にそっくりな「時代の空気」にタイムスリップできること。それもまた、旅が教えてくれる何よりの醍醐味なのかもしれない。