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戦後50年を異国の地で食べた900ルピアのナシゴレン
2026年10月10日
戦後50年を異国の地で食べた900ルピアのナシゴレン
1945年8月、日本が太平洋戦争の敗戦を迎えて直後、新たな歩みを始めた国がある。インドネシアだ。
日本軍駐留の期間に軍事訓練を受けた彼らは、その後4年の歳月をかけて旧宗主国・オランダと戦い、見事に独立を果たした。その独立を記念して建てられたのが、ジャカルタの中心にそびえる「モナス(独立記念塔)」である。
1995年8月、私は戦後50年を迎えたその地にいた。もっとも、独立を祝う高尚な気持ちがあったわけではない。たまたまバックパッカーとしてジャカルタに流れ着いただけの身であり、日本の旅行代理店が企画するようなパッケージツアーとは無縁の、毎日が暇で仕方がない一人の旅行者だった。
日々やることもなく、時間潰しになるネタを探しては「格好のヒマ潰しを見つけた」と一人ほくそ笑んでいた。
ジャカルタの郊外には動物園やテーマパークがあるようだったが、バンコクのシーロムやパッポン、ナナプラザのように大人が手軽に遊べる歓楽街は少ない。イスラム教の制約が厳しい土地柄でもあるからだ。
退屈感を一掃するため、私は目の前にそびえるモナスに上って「ジャカルタを一望してやろう」くらいの軽いノリで向かったのだが——これがまさかの大誤算だった。
列の長さもさることながら、とにかく行列が一向に進まない。東京タワーの展望台のようなエレベーターのピストン輸送力は端から期待できないようだった。炎天下の中、外の行列でひたすら待たされること1時間半。ようやく自分の順番が回ってきた。
それにしても、何と小さなエレベーターだろう。一回でどれだけの人数を運べるというのか。(後年、東京スカイツリーでこの何倍もの行列に並んだ際、30分も待たずに上へ行けたことを思い返せば、その差は歴然だった)。
苦労してたどり着いた展望台から1,000万人都市ジャカルタを眺めてみたものの、心に残るものは何もなかった。ただただ「暑くて疲れた」、それだけだった。
お腹が空きすぎてフラフラになりながら、何とかして早く宿へ帰りたいと思った。モナスから宿のあるジャラン・ジャクサ(ジャクサ通り)までは歩いても20分程度とそう遠くはないが、せっかくだから文明の力を使おうと思案する。
ちなみに当時、宿まではタクシーなら8,000ルピア、バジャイと呼ばれる三輪バイクなら5,000ルピア程度が相場だった。しかしここは観光地。どうせどの運転手も足元を見て高値を吹きかけてくるだろう。
誰に声をかけるか決めかねていると、たまたまこんがりと日焼けした40歳くらいの男性と目が合った。小さな屋台の傍らにいたので、何か飲食を営んでいるようだった。
「Apa ada makanan?(何か食べるものはあるかい?)」と適当なインドネシア語で尋ねると、「Nasi goreng(ナシゴレン)ならあるよ」と言うので、早々注文した。
ここで私は、ちょっとしたミスに気づく。 当時、この国で定価や適正価格が通用するのはデパートやスーパーマーケットくらいで、それ以外はすべて交渉によって値段が決まる。にもかかわらず、値段も聞かずに注文してしまったのだ。
「しまった」と思いながらも、もう後へは引けない。運ばれてきたナシゴレンを一気に完食した。 ふと顔を上げ、先ほど苦労して上ったモナスを見上げながら食べるナシゴレンは、驚くほど旨かった。
さて、この男はどれくらいの値段をふっかけてくるのだろうか。 「Berapa ya?(いくらだ?)」と尋ねると、男口から返ってきたのは思いもよらない回答だった。
「Sembilan ratus rupiah(900ルピアだよ)」
当時、地方都市の屋台でさえナシゴレンは1,000ルピアほどしていたはずだ。この男の思いがけない誠実さに、私は胸を打たれた。
あなたは思うかもしれない。「たかがその程度のことで?」と。
だが思えば当時の私は、日本で味わった数々の挫折や劣等感から世をすね、逃げるように海外へ脱出した身だった。「日本を脱出さえすれば、少しはマシなことがあるだろう」——そんな根拠のない期待を抱いて降り立った空港で、私はさっそく現実の洗礼を受けていたのである。
到着した日、市内へ向かうリムジンバスは出ていないと言われ、仕方なく拾ったタクシーは悪質な白タクだった。下車する際に思い切りボラれ、連れていかれたホテルもタクシー運転手と結託したバックマージン付きのボロ高額ホテル。夕食をとった店でもボラれ、おやつに買ったバナナの天ぷら(ピサン・ゴレン)でさえボラれた。ボラれまくった自分があまりに情けなく、惨めだった。
日本にいれば低所得層に過ぎない自分が、この国においては「日本人」というだけで金持ちとみなされ、買うものすべてに値段をふっかけられてきた。
だからこそ、あのナシゴレン屋台のオジサンが見せた小さな良心が、乾ききった心に深く染み渡ったのだ。 今から思えば、あの900ルピアのナシゴレンは、世界から見られた「もう一つの日本の姿」と、人の温もりに触れた忘れがたい旅の記憶である。