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「ねえ、ウチってお金ないんだよね?」――法事の日の不思議な会食
2026年10月11日
「ねえ、ウチってお金ないんだよね?」――法事の日の不思議な会食
くどいようだが、我が家は他所に比べれば経済的に豊かな方だった。しかし、日常の暮らしぶりは実に倹約的だった。
子どもというのは、何かと玩具を欲しがったり外食をしたがったりするものだ。私は欲しいものを買ってもらえないからといって激しく駄々をこねるタチではなかったが、不満を表情や態度に露骨に出すくらいの抵抗はした。
そうした時、母が決まって口にする言葉があった。 「ウチには、そんなお金がないの」
世間知らずだった私はそれを真に受け、親しい友人にもそのまま話していた。しかし、少し気の利いた友人は「それはないだろう」という顔をした。それもそのはずで、古い木造建築とはいえ、我が家は他のクラスメイトの自宅の倍近い敷地を持ち、そこでアパート経営までしていたのだから、お金がないわけがなかったのである。
この「ウチにはお金がない」という言葉に決定的な疑念を抱いたきっかけは、祖母の七回忌の法事だった。
都内・五反田駅の近くにある大変立派な中華料理店を貸し切り、円卓を囲んで父方・母方の親戚を数十名も招き、豪華な中華料理のフルコースを振る舞ったのだ。確か、各家庭へのお土産まで用意されていたと思う。
親戚の中には大酒飲みもいて、次々と酒の追加オーダーをする。大人たちだけでなく、私たちきょうだいがキリンレモンやオレンジジュースを遠慮なく頼んでも、母から注意されることはなかった。
「ああ、お母さんは急に気前が良くなったんだな」 そう思った私は、翌日以降に味をしめて外食をねだってみたのだが、母はいつもの厳しい倹約家にあっけなく戻っていた。 理由はさっぱり分からず、ただキョトンとするしかなかった。
なぜ、あの法事の時だけあそこまで豪華な会食をするのか。その本当の理由を知るのは、それからずっと後のことである。
その謎を解くヒントのような出来事は、長姉と兄が大学受験を控えた時期に起きた。二人とも私に比べて遥かに勉強ができ、志望校も高く設定していた。高3ともなれば一刻も早く机に向かいたい。「のんびり親戚と会食している時間がもったいないから、先に家に帰って勉強させてほしい」というのが彼らの言い分だった。受験生として至極全うな主張である。
しかし、母は会食の欠席を断固として許さなかった。「どうしても帰るというなら、大学進学は許さない」とまで言い放った記憶がある。
(たかが会食だろうに、なぜそこまで……?) そう思いつつも、ここで余計な口を挟めば面倒なことになるのは目に見えていたので、私は黙って口をつぐんだ。 このやり取りがあってから、私たちきょうだいは法事の会食について余計な意見を挟めなくなった。
ちなみに我が家は分家だったが、本家の方でも法事と会食は必ずセットだった。叔父夫婦は我が家の父母以上に節約志向の人たちだったから、子ども心に「会食なんてしなければいいのに」と尚更思ったものだ。
父は東京の私立御三家出身で頭が切れ、正しい文法で論理的に思いを伝えられる人だった。一方の母は、地頭は良いものの、言葉を巧みに操って自分の感情を説明するのはあまり得意ではなかったように思う。だからこそ、自分の意向を露骨な態度や強い言葉で示すしかなかったのだろう。
子どもの学費で家計がどれほど大変な時期であっても、母には「法事の会食」に懸ける並々ならぬ強い思いがあった。
母が亡くなった今、その真意を直接確かめるすべはない。しかし、両親を見送り、末っ子の私が墓守を継承した今になって、ようやくあの日の母の想いを言語化できるようになった気がする。
つまりは、こういうことだったのだ。
我が家の流儀において、法事とは単に死者を弔うだけの儀式ではない。とりわけ「会食」という場は、普段なかなか会えない親族が遠方から駆けつけて集い、お互いの無事を確かめ、情報を交換する何より大切な機会だったのだ。 「直接顔を合わせられるのは、これが最後かもしれない」——母はその一瞬一瞬を誰よりも重んじていたのである。
この考えに確信が持てるようになったのはごく最近、叔父の二十七回忌の食事会に呼ばれ、きょうだいで私一人だけが出席した時のことだ。
その席で、遠い親戚から両親の人柄や、私の知らない若い頃のエピソードをたくさん聞かされた。私たちきょうだいの知らないところで、両親は甥や姪にあたる親戚たちに対しても、実に深い愛情と心遣いを注いでいたことを知ったのである。
両親と親戚たちの間に確かな信頼関係があったからこそ、あの日の五反田の会食はあんなにも温かく、楽しい場になっていたのだ。
遠く離れた親族と絆を紡ぎ、繋ぎ止める場。だからこそ母は、長姉や兄の欠席をあれほど強く咎めたのだ。それは決して母の身勝手な感情論などではなく、一族の「繋がり」を守ろうとする母なりの矜持であり、深い愛だったのだとようやく理解できた。
たかが食事会、されど食事会。 丸い中華テーブルを囲んだあの日の賑やかさは、今も私の記憶の中で温かく輝いている。