フェズの空砲と、断食明けの快感(カイカン)

時間というものは早いもので、もう二十数年も前の出来事になってしまった。 スペインのアルヘシラスからフェリーに乗り、モロッコのタンジェを経由して、古都フェズに滞在していた時のことだ。

ホテルの部屋で爆睡していたところ、早朝4時過ぎだったろうか。突如、ロケット砲(大砲)のような凄まじい爆音が響き渡り、続いてアラビア語らしき男性の呼びかけ声が聞こえてきた。 1日5回流れるアザーンには聞き慣れていたものの、「一体何の音だ?」と訝しく思いつつも、睡魔には勝てずそのまま二度寝してしまった。

爆音のせいなのかすっかり寝坊してしまい、身支度を整えて外へ出た頃には11時を回っていた。 街に出てみると、普段の賑わいが嘘のように閑散としている。歩いている人々も、どこか生気がないように見えた。

隣町へ向かうため乗合バスに乗り込み、持参していたミネラルウォーターをゴクリと飲み干した。 すると、同乗していた老婦人からアラビア語で何やらきつく注意された。私は「ただの観光客であり、イスラム教徒ではないのだから関係ない」と思って行動していたのだが、その婦人はイスラムの世界しか知らず、私の振る舞いを咎めようとしたらしい。

隣に座っていた男性が「この人はムスリムじゃないから飲み物を飲んでもいいんだよ」と庇ってくれたものの、婦人はなおもしつこく説教めいた言葉を捲し立てていた。私には何を言っているのか分からないので、聞き流すしかなかった。

読者の方に状況を説明すると、私がフェズに滞在していた時期は、ちょうどラマダン(断食月)の真っ只中だったのだ。

ラマダンとは、イスラム教徒が心身を清め、神への感謝と自己鍛錬のために行う断食の期間である。夜明け前から日没までの間、飲食はもちろん喫煙や男女の営みも禁止される。ただし、異教徒や旅行者などはその義務を免除されることになっている。

私も断食期間中であることは知っていた。だからこそ異教徒の旅行者として、喉が渇けば水分を補給し、三度の食事も摂ろうとしていたのだ。しかし、イスラム社会の女性の中には(大切に護られている反面)外の世界に触れる機会が少なく、自分の宗教規範の物差しだけで世の中を見てしまう人もいる。だから乗合バスでのトラブルも、この土地では取り立てて珍しいことではないのだった。

とはいえ、朝食を抜き、喉も渇いてお腹と背中がくっつきそうなほど腹ペコだった。なんとか食べ物を口にしたい。乗合バスを降りて街の中心地へ向かえば、開いている飲食店がたくさんあるだろうと期待したのだが……どこもシャッターを下ろしており、人っ子一人いない。 世界有数の迷宮都市として知られる観光地フェズであっても、ラマダン中は別世界だったのだ。

諦めきれず中心地をしばらく歩いていると、一軒の飲食店のシャッターが下から70cmほど開いているのを見つけた。 かがんで中を覗いてみると、なんと一組の欧米系観光客が堂々とタジン鍋を囲んでいるではないか。店員も私に気づくと、サムズアップして「入れ入れ」と手招きしてくる。

お腹は激しく減っていた。だが、ラマダン期間中であるにもかかわらず、隠れて嬉々としてタジンを突っつく欧米人に対する一種の嫌悪感と、先ほどバスで説教された老婦人の真っ直ぐな視線が胸に刺さり、どうしても店に入る気になれなかった。

「そういえば、ホテルの部屋に食べかけのバゲットがあったはずだ」 当面の飢えはそれで凌ごうと決め、再びバスに乗ってホテルへ戻り、ベッドに横になって昼寝をした。

ずっと寝てばかりだったので、夕方になって少し外の空気を吸おうとホテルを出た。 日が沈みかけた頃、昼間はシャッターを下ろしていた食堂が一斉に営業を始めていた。

オープンテラスのような食堂のテーブルには、同じ料理がずらりと配膳されていく。どこからともなく人が続々と集まってきて、気がつけば席はほぼ満席になっていた。私も慌てて空いている席に着く。しかし、誰一人として目の前の料理に手をつけようとしない。

そうこうしているうちに、早朝に聞いたあの凄まじい爆音が再び街に響き渡り、続いてアラビア語の呼びかけが始まった。

(ああ、あの音の正体はこれだったのか!) 私は今さらながら膝を打った。あのロケット砲のような音は、1日の「断食の始まり」と「断食明け」を街全体に知らせる合図だったのだ。

祈りを捧げた後、人々が一斉に嬉々として食事を口に運び始めた。この断食明けに食べる料理は「ハリーラ(スープ)」などの回復食と呼ばれ、一日休ませた胃腸に優しい食材が選ばれている。 その日は一日ろくなものを口にしていなかったこともあり、目の前のスープもクスクスも、何もかもが極上の味に感じられた。ありがたく、一粒残さず完食させていただいた。

お腹も心も満たされたので、ホテルへ戻って就寝することにした。 しかし夜がとっぷりと暮れると、上の階が異様なほど騒がしくなってきた。イスラム教徒はお酒を飲まないはずなのに、酒なしでどうやってこれほど盛り上がれるのだろう。音だけ聞いていると、まるで日本の賑やかな居酒屋そのものである。 ドタバタという騒ぎ声に首をかしげながらも、旅の疲労からいつしか眠りに落ちていた。

未明の3時頃だったろうか。トイレに起きてベッドに戻っても、まだ上階から叫び声や笑い声が聞こえてくる。(まだやってるのか……)と寝付けずに横になっていると、あの地響きのような大砲の音が再び響き、アラビア語のアザーンが流れた。 すると、それまで騒がしかった上の階の声が、ピタリと止んだのだ。

朝、いつものように街へ出ると、昨晩の狂騒が嘘のようにしんと静まり返っていた。

「これが、ラマダンというものか」 教科書やガイドブックには載っていない、ムスリムの人々の生きた日常とエネルギーを目の当たりにした瞬間だった。

日中の飲食や欲望を断つことは、煩悩にまみれた我々にとっては耐え難い修行に思える。しかし、その禁を神によって解かれた瞬間の歓喜と解放感、まさに全身を駆け巡る「カ・イ・カ・ン(快感)」は、何倍にも跳ね上がるのだということに、深く納得した夜だった。