コモド島の四品のご馳走――オオトカゲの影と、命がけの夜

三十年前のこと、私はインドネシアの東へ向かう旅の途中にいた。 スンバワ島からフローレス島行きの大型フェリーに乗っていた際、乗船手続きの場で知り合った男性と、ある特別な島へ立ち寄ることになった。

その島こそ、世界最大のトカゲ「コモドオオトカゲ(コモドドラゴン)」が生息するコモド島である。

世界各地にオオトカゲは数あれど、体長3メートルを超える怪獣のような巨体となると、このコモド島と隣のリンチャ島くらいにしか生息していない。今回の目的は、本物のオオトカゲを一目見ること、そして同行者が中古の漁船を購入するという商談に立ち会うことだった。

コモド島は本当に小さな島だ。大型フェリーが横付けできる港などないため、島に近づくと沖合で小さな小舟が寄ってきて、そこへ乗り換えて上陸する。

本で予備知識は得ていたものの、実際に踏み降ろした土地は赤土の乾燥地帯で、お世辞にも物産の豊かな場所とは思えなかった。海岸沿いには観光客向けのベースキャンプがあり、ナシゴレン(インドネシア風炒飯)やミーゴレン(焼きそば)くらいは食べられそうではあったのだが……。

それにしても、ここ数日はまともな食事にありついていなかった。 バリ島からバスとフェリーを乗り継いで東へ進むにつれ、周囲は乾燥した火山帯となり、食べ物もどんどん貧相になっていく感覚があった。豪華と思えるものでも、カレー風味の揚げ魚や地元の青菜炒め、そしてパサパサの白米といった具合だ。日本にいたならとても食べる気が起きないような、ほのかに甘いパサついたパンで空腹を紛らわす日々。

「バリ島は良かったな……」と、何度心の中で呟いたことだろう。 バリ島にいた頃は「パスタが茹ですぎでフニャフニャだ」「トンカツの衣が脂っこくて気分が悪くなった」などと散々文句を言っていたくせに、いざ東の果てまで来てみればこの有様である。船内販売で買ったパンすら完食できないほど食欲と気力が失せていた。

そんな疲弊と激しい空腹を抱えたまま、私はコモド島へ上陸したのだった。

この島は、これまで通ってきたどこよりも物がない場所だった。 空腹はすでに頂点に達し、眩暈(めまい)がしそうだったが、同行者の商談のため売主である漁師の家へ上がり、その輪に加わった。

当時、インドネシアとマレーシアに合わせて2ヶ月ほど滞在していたため、インドネシア語の日常会話くらいは理解できるようになっていた。しかし、あまりの空腹にじっくり話に耳を傾ける気力すら湧いてこない。 同行者と売主との交渉が難航している空気は伝わってきたが、私の頭の中は「何か食べたい」という思いで支配されていた。結局、価格の折り合いがつかず商談は破談となった。

船の売主は60歳を過ぎたベテランの漁師だった。彼は私が日本人だと知ると実に嬉しそうな顔をし、近所の家々にも声をかけて、大勢での賑やかな夕食会を催してくれたのだ。

食卓に並んだのは、大きな煮魚、空芯菜に似た青菜の炒め物、ココナッツミルクで煮た即席麺、そして青唐辛子の薬味……贅沢な四品のおかずだった。 普段の彼らの食事といえば、小魚の塩焼きと即席麺くらいのものではないだろうか。見知らぬ日本の青年がやってきたということで、限られた資源の中から精一杯のもてなしをしてくれたのだと思う。その温かい心遣いとともに味わう料理は、全身の細胞に染み渡るように美味しかった。

ふと外に目をやると、漁師たちが網を丁寧に畳み、家の中へと入っていくところだった。このあたりの家はすべて高床式になっている。観光客用のベースキャンプほどではないが、この集落のすぐ近くにもコモドオオトカゲが現れることがあるからだ。

食事が終わり、満腹感の中で寛いでいると、同行者が私に向かって手招きをした。 後をついて行くと、彼はあたりをせわしなく見回しながら、「今だ!」と叫んで海岸線に向かって走り出した。

日はすっかり落ち、漆黒の闇の中に私たちと海岸のシルエットだけが浮かび上がっている。 私たちはズボンを脱ぎ、海に入って用を足した。集落にはトイレなど存在せず、海がその代わりなのだ。もちろん、闇に紛れてコモドオオトカゲが忍び寄ってこないうちに済ませなければならない。

思いもよらず、私は島民の家で過ごす民泊(カンポンステイ)を体験することとなった。

きっと同じ時刻、丘の向こうの観光客向けベースキャンプでは、欧米からの旅行者たちがビールを片手に鹿肉を喰らい、賑やかに乾杯していたことだろう。 しかし私にとって、あの四品のご馳走と、闇の海での忘れがたい夜——このカンポンステイの記憶こそが、生涯消えることのない宝物となったのである。