千石茶屋「跡」に、もう一度灯った明かり――大菩薩の歳月と新しい茶屋

金時山や高尾山のように、登山口までのアクセスが良く、歩く距離も時間も短い山は別として――人里離れた深い緑の先、険しい道のりを経て辿り着いた峠の茶屋で得る喜びと感動は、どう表現したらよいのだろう。下山者にとっては、まさに安らぎの「コンフォートゾーン」とも呼ぶべき存在である。

今回紹介する茶屋は、二〇年ほど前までは地図や地名にその名を残すのみで、建物すら存在しなかった。当時は、大菩薩峠や大菩薩嶺への道のりも現在よりはるかに遠いものだったのだ。

地形が変わったわけではない。ただ、公共交通機関を使って登山口へ辿り着くまでが大変だった。 JR中央線の塩山駅から路線バスに乗り「大菩薩峠登山口」バス停で下車。そこから坂道を四〇分ほど歩いて、丸川峠分岐か、あるいはその先の「千石茶屋跡」から登り始めることになる。

丸川峠ルートは山頂までの距離こそ短いものの、体が山に慣れる前の急登で体力を大きく削られる。一方、千石茶屋跡からのルートは急登ではないものの、距離が長い。いずれのルートを通っても、最初に開けた場所に出て出会うのが、売店のある山小屋「上日川峠」だった。ここでようやく体力的には中間地点といったところである。多くの登山客はここで小休止を挟み、大菩薩嶺や大菩薩峠を目指したものだ。

私は大抵、千石茶屋跡の登山口から岩のゴロゴロしたつづら折りの道をひたすら登り、上日川峠を目指して高度を上げていった。

はて、十数年ほど前からだっただろうか。 その「千石茶屋跡」に、バンガロー風の建物が建ち始めのを目にするようになった。基礎工事などはプロの手によるものだったのだろうが、現地を通るたび、シニア男性が外で楽しそうに日曜大工に精を出している姿を見かけるようになった。

そしてある時、木目調の見事な小屋が完成したのである。 小屋の前を通る際、持ち主と思われるその男性に声をかけると、「焼き芋でもどうですか?」と温かく勧められ、お茶までご馳走になってしまった。さらには山で採れた果物までいただき、すっかり長居してくつろいでしまった。

帰りのバスの時間が近づいたため御礼を言い、ごちそうになった心ばかりの感謝として、コップの下にこっそり千円札を忍ばせてその場を後にした。 ここからバス停までは徒歩四〇分ほどの道のりである。重い足を引きずりながらバス停へ着くと、幸いにも塩山駅行きのバスが既に停車していた。

足早に乗車した直後、後ろから女性の呼ぶ声が聞こえた。 振り返ると、私の手にあの千円札をぎゅっと握らせてきたのだ。「こんなことされたら困りますから」と。

それから程なくして林道が整備され、今ではJR甲斐大和駅からバスで直接上日川峠まで行けるようになり、登山ルートは相当にショートカットできるようになった。

その間も「新・千石茶屋」は少しずつ内装が整えられて立派になり、今ではカレーライスやスパゲッティなども味わえる食事処として賑わっている。

さらに時が流れたある日、登山装備もしていない若い女性から「千石茶屋への道」を尋ねられた。 そう――今やそこは、もう「千石茶屋『跡』」ではない。名実ともにあたたかな「千石茶屋」なのだ。