微熱山丘(サニーヒルズ)の歩き方――南投の風と、母との三都物語

「微熱山丘(SunnyHills)」という名をご存じだろうか。知る人ぞ知る台湾の超人気パイナップルケーキなどを展開する、世界的に有名なブランドである。

私が微熱山丘の存在を知ったのは、いつの頃だったろう。おそらく旅行雑誌の特集で見かけたのだと思うが、記憶は定かではない。

ただ、このお店はあらゆる意味で異彩を放っていた。 買い物を演出する以前に、入店したお客様全員にパイナップルケーキ一丸をまるごと丸々ひとつ提供し、さらに淹れたての温かい台湾茶とともに、洗練された専用のティールームでゆったりと寛がせてくれるのだ。買い物を促す押し売り感は一切ない。これは台北店でも、東京の表参道店でも変わらないスタイルである(ただし、台中の南投県にある本店だけは、入口で手渡しされる形だったが)。これほど太っ腹で独自の営業スタイルを持つお菓子屋が、他に存在しただろうか。

一度気になると居ても立ってもいられない性分の私は、その「秘密」を現地で確かめたくなり、すぐさま台湾行きを決めてしまった。

小さなリュックひとつを背負い、成田発台北(桃園)行きのチャイナエアライン(中華航空)に乗り込む。その日は台北市内に泊まり、翌朝早くに台北駅から台湾高鐵(新幹線)で彰化駅へ。そこからローカル線である集集(ジージースー)線の集集駅へと電車を乗り継いだ。

余談だが、集集線は線路と並行して道路が走り、ほぼ同じ目線で電車が駆け抜けていく。車体も駅舎も実にレトロで味わい深く、鉄道ファンならずとも心が踊る景観だ。

目的地はここからかなり離れており、歩いていくのはとても無理だったため、駅員さんに尋ねて本数の少ない路線バスに揺られて向かった。

バスを降りると、あたり一面に青々としたパイナップル畑が広がっていた。南国の強い日差しを浴びながらも、吹き抜ける風はどこか心地よい。 視線を左に移すと敷地の門があり、ここが本店の入口のようだ。

「微熱山丘 SunnyHills」の看板の奥には、一昔前の農作業場を思わせる古風なしっくいの建物が佇んでいた。質素でありながら、どこか上質な温もりを漂わせているのはなぜだろう。館内には販売コーナーだけでなく喫茶スペースもあり、ここでしか味わえない新鮮なパイナップルジュースなどが提供されていた。

台北市内のモダンなショップで寛ぐのも良いが、この南投県の本店はまさにパイナップルの生産現場そのものであり、一塊のケーキに込められた農家や職人の思いをより深く感じさせてくれた。

帰国してから何年か経った頃。 母は足腰が弱り、車椅子での生活となっていた。家事のほとんどを私が担うようになると、母は家でテレビを見て過ごす時間が増えた。「そればかりでは退屈だろう」と、私はいつしか車椅子を押して母と外出するようになっていた。

ある日、表参道にある微熱山丘へ行ってみないかと誘うと、母は嬉しそうに頷いた。姉と姪も誘うと、大のおばあちゃん子だった姪も喜んで同行してくれた。

表参道店は台北店とも全く異なる外観で、木組みを施した前衛的な建築デザインは、お洒落な表参道の街並みの中でもひときわ目を引く存在だ。パイナップルケーキの買い物を済ませた後、2階のカフェスペースで母、姉、姪、そして私の三世代で、美味しいケーキとお茶を楽しんだ。

その翌年、母が「台北の故宮博物院にある翡翠の白菜(翠玉白菜)が見たい」と言うので、私は再び車椅子を押して母と台北へ飛んだ。その旅の途中、微熱山丘の台北店にも立ち寄った。表参道店とはまた違う、木目の温もりが生かされたシックな内装に、親子で深く感動したものだった。

それから三年後、私は一人で熊本市内にいた。 鶴屋百貨店の催事で販売されていた微熱山丘のパイナップルケーキを買い求め、ホテルの部屋で口に運ぶ。

口いっぱいに広がる甘酸っぱいパイナップルの風味は、あの日と変わらない上質な味わいだった。前年に旅立った母の面影を、静かに思い浮かべながら。